Here We Go!!
カニングシティ

 夕闇が迫る中、彼らは鉄塔の影に身を潜めていた。
 暗くなる一方のこの時間帯、敵が近づいてくるのを察するのは難しい。視界の悪さは言わずもがなだし、嗅覚も周囲に錆びた鉄の臭いが充満していては頼りにならない。聴覚ならまだしもだが、あの飛び跳ねる茸は体重も軽いのだろう、ぽすんぽすんという微かな音しか立てない。他の敵は動く時も全く持って無音に近い。
 傍らで、がつん、と鈍い音がした。反射的に飛びのきざま視線を向けると、膝ほどの高さの切株があった。そして体勢を崩す、弟の姿。
「……九十朗!」
 弟の顔が、苦痛に歪む。その全身がふいに黒い光に包まれた。
 光は一瞬で収縮し、離散する。
 その場には、既に弟の姿はなかった。
 小さく舌打ちして、切株に向き直る。それはじろり、と一つしかない目で睨め上げてきた。
 不意を衝かれなければ、手こずる相手ではない。倒壊したままの鉄骨の影から現れたので気がつかなかったのだろう。
 汗の滲む掌で剣を握り直し、次郎五郎は敵に踊りかかった。


「いてぇ……」
「当たり前だ、莫迦」
 煉瓦作りの壁にもたれかかって呻いている九十朗に、冷たく次郎五郎は言葉を返した。
 あの後、一人でモンスターの間を駆け抜け、街まで戻ってきたのである。
 ……この大陸は、精霊の守護がある、と言われている。
 本当か嘘かは判らない。だが、確かなのは街中にはモンスターは入ってこられないということ。
 そして、人々はモンスターに殺されることはない、ということである。
 戦闘で傷を負うと、その人間の身体は黒い光に包まれる。そして戦闘できないほどの状態になると、彼は安全な街へと連れ戻されるのだ。とりあえず動ける程度には身体も回復して。
 しかし街のどこに出現するかは判らない。次郎五郎は、文字通り街中を走り回ってやっと弟を見つけ出した。
 ひとつ溜息をついて、次郎五郎は弟の隣に腰を下ろした。
「具合はどうだ?」
「怪我は治ってる。疲れと、痛みが残ってるだけさ。じきに動けるよ」
 返答に頷く。
 無理を重ねていたとはいえ、あの程度の敵で苦戦するようでは、先はまだまだ長い。
「もっと強くならないとなぁ……」
 その思いを読んだかのように、九十朗が呟いた。
「焦るなよ。簡単な道のりじゃないことぐらい判ってたはずだろ」
「だけど!」
 思った以上に眼に強い光を湛えて、九十朗は兄を見つめた。
「早くクリムゾンバルログ海賊団をやっつけないと!」

「……………は?」
 たっぷり十秒近くは固まっていただろうか。次郎五郎は、ようやく間の抜けた声を上げた。
「だから、クリムゾンバルログ海賊団」
「何だよ、それ……」
「次郎、知らねぇのか? エリニアから、船が出てるだろ」
「ああ……。あの、運賃がばか高くてよほどの金持ちでないと乗れないアレな」
 やや不快な表情で、次郎五郎は呟く。僻みではない。多分。
「あの船を狙って、海賊船が襲ってくるんだってよ。十隻以上の船団で、財宝を残らず略奪するんだ。船長はとてつもない大男で、自分が倒したジュニアバルログの皮を剥いで被ってるらしい。エリニアには、よく焼け落ちた船が漂流してくるって……」
「九十朗。それ、誰から聞いた?」
 呆れ果てて頭を抱えながら、それでもとりあえず確認する。
「誰って、情報屋」
「お前の知ってる情報屋っていうと……」
 九十朗は小さく頷いた。
「アレックス」


 音を立てないように、鉄骨の階段を登っていく。
 この大陸で、工業が最も発展した街、カニングシティ。その中でも一際高い建物の屋上に辿りついて、次郎五郎は溜息をついた。
「逃げやがったか……」
「アレックス探してんのか、次郎?」
 のんびりと尋ねてくる弟に、不機嫌な顔で頷く。
 と、地上から聞こえてきた怒声に、視線を落とした。
 数人の男たちが誰かを追っている。彼らの前方を走っているのは、一人の小柄な少年だった。
「飛び降りろ、九十朗!」
「こっからかよ!」
 いきなり命令されて抗議の声を上げるが、兄は聞く耳を持っていない。
「俺が行くまで奴をどこにも行かせるなよ!」
 言い捨てて、階段を下りていく。
「ちぇ」
 小さく呟くと、九十朗はひらりと身を躍らせた。
 地上まで、十五メートルはあるだろう。
 途中、路地の上を張り巡らされている洗濯干し用の紐を掴む。
 大きくたわんだそれを利用して、少年は更に飛んだ。
 すとん、と軽い音を立てて、石畳に降り立つ。
「うわ!?」
 今にもそこを駆け抜けようとしていた少年が、驚いて立ち止まった。
「よう、アレックス」
「……あんたかぁ。びっくりさせんなよ」
 安堵したように、アレックスは帽子を取り、額の汗を拭った。
「ちょっと急いでんだ。またな」
 アレックスは落ちつかなげに背後を振り向きながら、九十朗の傍を通ろうとした。
 が。
「悪ぃけど、待っててくれよ。今、次郎が来るからさ」
「はぁ!?」
 がっちりと手首を捕まれて、アレックスは悲鳴に近い声を上げた。
「離してくれって! 頼むから!」
「いやお前も次郎知ってんだろ。お前を行かせたら、あいつに殺されちまう」
「ここにいたら、俺が殺されるんだよ!」
 目に涙すら滲ませながら訴えるアレックスを、九十朗はまじまじと見つめた。
「……………ああでもそれは俺じゃないし」
「……本当に兄弟だなお前たち……」
 何となくその場に蹲りたくなったが、背後の気配に、アレックスは慌てて振り返った。
 背後を塞ぐ男たちの人数は、五人。慣れたように武器を掴んでいる。
「よぅ、アレックス。散々手こずらせてくれたじゃねぇか」
「……何のことだ?」
 じり、と靴底をずらせながら答える。いつでも走り出せる体勢だ。……手首を捕まれてさえいなければ。
「誰だ、こいつら?」
 呑気に、九十朗が尋ねた。
「お前こそ、何だ。アレックスの仲間か?」
 あからさまに殺気立っている男の一人が訊き返してきた。
「いや仲間っていうか……」
「違うなら向こうに行ってろ。邪魔だ」
「俺もこいつに用事があるんだよ」
「関係あるか!」
 かっとした男が、九十朗の胸元を掴み上げる。九十朗も武器を持ってはいるが、男たちの方が場数が上なのは明らかだ。
「弟から手を離せ」
 静かな声が背後から聞こえてきて、彼らは思わず視線を向けた。
「弟……?」
 意外そうな声が、男たちの中の、まだ冷静な一人から漏れた。
 背後に立っていたのは、長めの銀髪の、やや暗い目をした少年。
 対して、彼が弟と呼んだ少年は、短い黒髪で見るからに活発そうだ。胸倉を捕まれた瞬間、噛みつきそうな表情を見せたくせに、今はきょとんとして兄を見つめている。
「手を離せと言った筈だ。……死にたいか?」
「殺す? 俺たちをか?」
 九十朗を掴んだ男が、鼻で笑った。
 ひとつ溜息をついて、次郎五郎は手近なベランダに張っていた紐の一本を切った。
 ひゅん、と鋭い音が数回響いて、無数の紐が上空から落下してくる。
「うわ……っ!」
 一瞬の後に、五人の男の身体にはその紐が絡みついていた。腕や足、そして首に。
 更にもう一本の紐にナイフを触れさせて、次郎五郎が言う。
「これを切れば、その紐が極限までお前たちを締め上げる。……弟を離せ」
 男たちが紐を解き、反撃する間に、少年はたやすく紐を切るだろう。額に脂汗を滲ませ、男の一人は九十朗から手を放した。
 それを確認して、ぷつん、と次郎五郎が紐を切断した。
「ひっ!」
 悲鳴が上がる。……が、彼らの身体を戒めていた紐は、ぱらりと地面に落下しただけだった。
 へたり、と座りこむ男たちの間を、無造作に次郎五郎は進んだ。
「俺は別にあんたたちの邪魔をしたいわけじゃない。……アレックス」
「はぃいっ!」
 声を裏返させて、アレックスが姿勢を糺す。
「彼らにどういう情報を売ったんだ?」
「……それを知りたいなら相応のものを払ってもらわないと」
 が、即座に金の話になる辺り、彼もカニングシティの住人だ。
「金なんか払うんじゃねぇぞ、おい。そいつは全くのでたらめを売りつけたんだからな」
 男が、吐き捨てるように言った。
「でたらめじゃねぇよ」
 むっとして、アレックスが返すのに、男は更に激昂した。
「お前が、ゾンビルーパンの王は伝説の剣・グラディウスを持っている、って言ったんだろうが! その王は満月の夜、ゾンビルーパンたちが開く宴の席にしか姿を見せない、と! おかげで俺たちは一晩あの沼地で無駄に過ごしたんだぞ!」
「…………むしろ、どうしてそういう話にひっかかるのかが俺は不思議だが……」
 半眼で、次郎五郎が感想を述べる。
「すげぇ! 本当か、アレックス!」
「ひっかかるな。」
 勢いこんで尋ねた九十朗に、冷たく兄は告げた。

 とりあえず、全くのでたらめだという根拠はないとして、アレックスは男たちから受け取った情報料の半額を返すことでその騒ぎは収まった。
「あーあ。お前たちのおかげで大損だ」
 アレックスが、いつもの屋上に座りこんでぼやく。
 ちなみに、彼はもう九十朗に返す分の現金を持ってなかったので、彼らへの補填は夕食をおごることだった。それは、アレックスの顔が利くという屋台で買いこんできている。
「いつまでも逃げられる訳じゃないだろう。捕まったら、身包み剥がされた上に、無傷でいられる訳がない。この大陸じゃ、みんな歯まで武装してるんだ。こんなこと続けてたら、いつか誰かに殺されるぞ」
 静かに、次郎五郎が指摘した。その声音にアレックスが一瞬背中を震わせる。目の前に座って、ホットドックを食べているのは、まだ冒険者の専門職にも就いていない少年だというのに。
「……お前ら、一体何者なんだ?」
「ただの冒険者見習いだよ」
 次郎五郎が肩を竦める。
「それだけじゃないような気がするけど」
「まあな。実は人を探してるんだ」
 九十朗が答えるのに、次郎五郎が鋭い視線を向ける。が、遅かった。
「へぇ。どんな人だ? 手を貸せるかもしれないぜ」
 思った通り、アレックスが身を乗り出してきた。
「先刻みたいなことがあって、どうしてそう言えるんだ?」
 ちくり、と皮肉を言ったが、どうせ二人だけでは限界があることは判っていた。
「探してるのは男だ。黒髪に、黒い目をしている」
 そこで次郎五郎が言葉を切る。数秒間待って、アレックスが口を開いた。
「……他は?」
「それだけだ」
 その程度の条件に当てはまる男など、それこそ五万といる。困惑して、アレックスが諦めるように言おうとした時。
「それと」
 ふ、と次郎五郎が、視線を夕暮れの空へと彷徨わせる。
「……大きな、暖かい手をしていた」
 そう呟いた少年の瞳に、アレックスは言葉を飲みこんだ。

2005/04/11 マキッシュ