Here We Go!!
フロリナ

 ざくり、と音を立てて、足の下で砂が崩れる。
 太陽の日差しは容赦なく降り注ぎ、鮮やかな青空へ屹立している椰子の影を白い砂へ焼きつけていた。
 肩を僅かに上げ、頬に流れる汗を無造作に拭う。
 砂に残る二人の足跡は、とある建物へと向かっていた。


 軒をくぐった途端、視界が暗くなる。
 同時に激しい日射からも解放された。兄弟は揃って頭を振り、髪に籠る熱を発散させる。
「らっしゃい!」
 店内から陽気な声がかけられる。薄暗いそこにはいくつかのテーブルが並び、客が思い思いに寛いでいた。空いている場所を見つけ、二人は腰を下ろす。
「ご注文は?」
 男が近づいてきて、尋ねた。日に焼けた肌、潮風にぱさついた髪。派手なアロハシャツに、膝丈のズボン。短いエプロンが、彼が店員だということを教えている。
 暑さに負けかけていた二人は、とりあえず冷たい飲み物を注文した。
 店員が背を向けたところで、大きく溜息をつく。
「……暑かったなぁ……」
 テーブルの上に突っ伏して、九十朗がぼやく。
 次郎五郎は、それに生返事を返しながら店の外へ目を向けていた。
 痛いほどに白く輝く砂浜は、その先で碧い海に繋がっている。水平線には、巨大な入道雲が存在を誇示していた。
 ここは、常夏の楽園、フロリナ。
 リゾート地としても名高く、そこここに休暇を楽しんでいるらしい人々がいた。
 だが、勿論彼ら兄弟は休暇のためにここへ来たわけではない。
 さほど時間を置かず、先ほどの男が鮮やかな水色のグラスを持って戻ってきた。
「ありがとう。繁盛してるみたいだな」
 硬貨を手渡しながら、次郎五郎が声をかける。
「まあまあだね。うちの一番の売りは、外の舞台でやるショーなんだ。陽が落ちてから始めるから、よかったら見に来てくれよ」
 白い歯を見せて、男が笑う。親指で無造作に指した先には、砂浜に造られた木製のステージがあった。
「ぜひとも見せてもらうよ。……ところで、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、今いいかな?」
 男は少し躊躇ったようだが、すぐに口を開いた。
「長くは無理だ。手早く済ませてくれ」
 次郎五郎が、それに頷く。
「実は、人を探しているんだ。三十代前半の男で、黒髪に黒い眼をしている」
 店員は、腕を組んで視線をやや上へ向けた。手掛かりが少ないというのに、それでも記憶を浚ってくれているらしい。
「……ちょっと待てよ。その男、特徴的な喋り方をしなかったか?」
 思いついたようにそう訊き返され、兄弟は思わず身を乗り出した。
「ああ、そうだ。心当たりがあるのか?」
「いや、多分そうじゃないかなー、ていうのが。あ、だとしたら、お前らあの時のチビたちか!」
 目をやや大きくして、男がぽん、と掌に拳を当てる。
「あの……時?」
「あー、憶えてないか。もう十年ぐらい前に、あいつが二人の子供を連れてここに来たことがあるんだよ。養い子だと言ってた。年に一度は遊びに来るんだが、子供を連れて来たのはその一回きりだったな」
「……あの人が、俺たちをつれて……?」
 十年ほど前ということは、彼に拾われてからそう時間は経っていない。
 記憶にはないが、当時は物心つくかどうかという年齢だ。憶えていなくても不思議はない。
「お前らがその辺遊び回るのを、本当に嬉しそうに見てたよ」
 しみじみと続ける言葉に、ふいに視界がぼやける。
「そっか。あの人が……」
 ぽつり、と呟いて、俯く。
「あ!」
 九十朗が、立ち上がって男に詰め寄った。やや腰を引かせて、男はそれに向き直る。
「先刻、年に一度は来る、って言ってたよな? 次にいつ頃来るか判るか?」
 つい聞き流していた言葉に、次郎五郎も思い当たる。ずっと探してきていて、ようやく掴んだ具体的な手掛かりだ。
 しかし、男は僅かに顔を曇らせた。
「いや、三ヶ月前に来たところだ。もうしばらくは来ないだろうな」
「三ヶ月……」
 力の抜けた身体が、とすん、と椅子に崩れ落ちる。
 九ヶ月、下手するとそれ以上もの時間をここでただ待って過ごすわけにはいかない。
 二人の兄弟の様子を気遣わしげに見ていた男は、おずおずと口を開いた。
「あー……、実は、あいつがかなりの額をツケにしてるんだが。あんたたち、身内だったら払っていってくれないか?」
 次郎五郎と九十朗は、無言のまま長々と視線を交わしていた。


「店長ー! ブルーハワイと宇治金時入ります!」
 白い、清潔なTシャツに黒のエプロンをかけた少年が、店外のテーブルを回りながら声を張り上げる。
「あいよー! ハワイ一丁宇治一丁!」
 店の奥から復唱するのを確認して、少年は額の汗を拭った。長めの銀髪は、首の後ろで一つに括ってある。届かなかった前髪が、頬に貼りついていた。
「お疲れさま、じろちゃん」
 一つのテーブルから声をかけられる。そこにいたのは、長い髪に鮮やかな赤い花を飾った女性だった。
「……そういう呼び方は止めてください、リエルさん」
 憮然として、次郎五郎がそう返す。ふふ、と彼女は小さく含み笑いをした。
 結局、養父の借金を返すだけの持ち合わせがなかった彼ら兄弟は、この海の家でバイトすることでその埋め合わせをすることになったのだ。店内では、九十朗も働いている。
 悪戯っぽい目で少年を見上げると、リエルは紅を引いた唇を開いた。
「そういうこと言ってると、やっぱり制服を私たちとお揃いにしちゃうわよ?」
「いや止めてください」
 間髪を容れずに返す。
 彼女の上半身はチューブトップで、それだけでも男である次郎五郎が着るには無理があったが、更に下半身は、この地方の民族衣装である腰みのである。
 リエルを含めた三人の女性が、この店の最大の売りであるというショーの踊り子だった。
 ここで働くと決まった時に引き合わされ、その時点でペアルックを強要されかけた経緯がある。その時に強固に拒んだ次郎五郎の反応も判っていたのだろう、リエルはからかっただけのようだった。
「陽が沈んだら、ショーが開演するわ。時間を見つけて、見てみてね」
「はい」
 自信ありげに云うリエルに、次郎五郎は約束した。



 太陽が水平線に沈んでもなお、空は深紅に染まっている。それでも徐々に周囲が闇に埋もれていく中、そのステージは幾つもの篝火に照らされていた。
 周囲の砂浜にはテーブルや椅子が出され、多くの人々が期待にざわめいている。
 次郎五郎と九十朗は、それから少し離れた場所に立っていた。
 やがて一際派手なアロハシャツに身を包んだ店長−−バァレンが舞台に登場した。ごほん、と小さく咳払いして、声を張り上げる。
「お集まり頂きましてありがとうございます。このフロリナの美しい宵が、皆様のよき思い出になりますよう……」
 挨拶の言葉に、低い太鼓の音がかぶさってくる。初めは微かだったその音が、少しづつ深みを増していく。
「それではお楽しみ下さい! フロリナン・ダンスの第一人者、その名も……」
 今度、その声を遮ったのは、悲鳴だった。

 兄弟は、一瞬で悲鳴が発した場所を目指して走り出した。
 悲鳴や怒声、罵声は周囲を巻きこみ、広がっていく。
 砂が足の下で崩れ、走りづらい。
 ようやく辿り着き、篝火が照らし出した、その場には。
 人々に襲いかかる、小さな茶色い獣の群れがいた。

「ゾンビルーパン……?」
 以前、エリニアでアンデッドに囲まれた時の恐怖が蘇る。
「……いや、腐臭がしない。あれじゃないと思う」
 人一倍嗅覚の鋭い九十朗が呟く。
 若い女性が、腕をモンスターに掴まれて、引き摺り倒されそうになっている。
 とりあえず、二人はパニックを起こしている人々の中へ駆けこんで行った。


 すっかり暗くなった空には、満天の星が煌いている。
 バァレンは、悄然としてステージの片隅に座りこんでいた。その周りで、リエルを含むダンサーたちが彼へ静かに話しかけていた。
 並べてあったテーブルや椅子は砂浜に倒されている。壊れているものも少なくはない。
 ステージ自体も多少の被害を受けているらしく、足を乗せると僅かに軋んだ。
「店長……」
 辺りを一巡して、もう危険がないことを確認していた兄弟が、静かに声をかける。
 バァレンの、空ろな眼が少年たちを捉える。数秒後にようやくそれが意識に上がったらしい。
「辺りにはもう誰もいない。不審なものもなかった」
「あ……ああ、ご苦労さん。面倒なこと頼んで悪かったな。お前たちのおかげで、怪我人も殆ど出なかったし……」
 言葉が、宙に浮く。
 周囲に人がいない、というのはつまり客もいなくなっている、ということで。
 力を入れていたショーが台無しになってしまったのは、彼らにとってどれほどの痛手か。しかも、この分では再開できるかどうかも判らないのだ。
「……くそ、あの野郎ども、ここまでしてきやがるか……」
 バァレンが、低く呟く。
 その言葉を聞き咎めようとしたときに。

「あれ? 今日はダンスショーの日じゃなかったですかぁ?」
 あまりにも呑気な、笑いすら含んだ声が、闇の向こうから響いた。

 ばっ、とバァレンが立ち上がる。
 ざくざくと砂を踏みつけて、二人の男が姿を見せた。
 まだ若い。一人は無地のTシャツにジーンズだが、もう一人はこの常夏のビーチには不釣合いな黒の背広を着ていた。二人とも、どう見ても善良な一般市民、という空気は持ち合わせていないようだ。にやにやと意味ありげな笑いを顔に貼りつけている。
 次郎五郎が、やや眉を寄せた。どこかで、彼らを見たような気がしたのだ。
「やっぱりお前たちの仕業か……っ!」
 憎憎しげに、バァレンが吐き捨てる。
「は? 俺たちはご自慢のショーを見物させて頂こうと思ってわざわざここまで来たんですけどね」
「しかし、酷いもんですなぁ。警備面とかは、やっぱり自営業では無理があるんじゃないですか?」
 男たちはにやにやと笑いながら、じわじわと追い詰めていく。
 バァレンは、無言で相手を睨みつけている。
「そろそろ、うちの話に乗った方がいいと思いますがね? 小さな海の家一軒、小さなステージ一つ、必死になって守るほどの財産じゃないでしょう? 勿論相応のお金はお支払いしますし、その後だって、貴方はバーテンダーとしての腕は確かですから、うちのホテルで雇ってさしあげようと以前から申し出てるじゃありませんか。そちらのダンサーさんたちだって、うちで踊れば、こんな小さな舞台どころじゃないお客さんが集まるんですよ?」
 低く、囁くように、黒服の男は一見甘い言葉を紡いだ。
「ふん。嫌がらせなんて汚い手を使う奴らの飼い犬になるつもりなどない」
 海の家の主が言い捨てる。
 既に大体の状況は飲みこめた。こんなことをしそうな奴らは、つまり。
「……あ」
 思わず漏れた言葉は、思った以上に大きかったらしい。周囲の視線が、次郎五郎に集まる。
「思い出した。お前たち、ジパングの……」
「ああ、金融の下っ端か!」
 思い出したのか、ぽん、と九十朗が手を打つ。
 おそらくはこの兄弟に目が行ったのは初めてだったのだろう。男たちは目に見えて顔色を失った。
「お……お前ら、まさか……」
「ショーワ町の事務所を壊滅させた、あの兄弟か!」
「いや、壊滅させてないから」
 冷静な九十朗のツッコミは、しかしTシャツの男に即座に否定された。
「やかましい! お前らが警察の手先としてまんまと入りこんだせいで、本社には手入れが入り、三ヶ月間の営業停止だ! おかげでこっちの出店計画も頓挫しそうな勢いだったんだからな!」
「そのまま頓挫してればよかったのに」
 リエルが、小さく呟く。
「ははぁ、そうか。お前たち、今度はフロリナの方まで潰そうって魂胆だな。一体どこの手先だ? 警察か、それとも商売敵か?」
「俺たちはただのアルバイターだよ。……今は」
 事実を告げただけだが、相手は更に疑心暗鬼に陥ったようだった。
「だが、俺たちはここでは何の不正行為もしていない。つけいる隙はないぞ」
「嘘言わないでよ! 今日だって、ショーが始まるのに合わせて、ルーパンをけしかけたんじゃないの!」
「おや。証拠でもあるんですか?」
 ダンサーの一人が怒りの声を上げるが、男は軽くそういなした。
「それは……、でも、こんなところにルーパンが出てくることなんてありえない。誰かが連れてこない限り!」
「だから、その『誰か』が、我々だという証拠はあるんですか? 証拠がないのにそんなことをおっしゃるなら、名誉毀損で訴えさせて頂きますが」
「……ラエル」
 静かに、バァレンが女性を制した。彼の視線は、彼女に劣らず憎悪を宿していたが。
「……ふむ。では、こういう話はいかがですか?」
 ふと、何かを思いついたというように、背広の男が口を開いた。
「明後日、このビーチで月に一度の祭りが開かれますね。その祭りで、そちらとこちらで一軒ずつ屋台を出しましょう。その一日の売り上げを比べて、そちらが高ければ、今後一切貴方がたへの買収の申し出は致しません。……が、こちらの売り上げが高ければ、無条件で話を飲んで頂きたい」
「なん……っ!?」
 ダンサーたちが息を飲む。
「そちらも、長年この地で商売されてきたのだから、それぐらいの自信はおありでしょう。悪い条件ではないと思いますが」
「……俺たちが勝てば、本当に手を引いてくれるのだろうな」
 低く、バァレンが念を押す。
「勿論です。何でしたら、明日にでも念書を持参致しますよ」
「判った。その勝負、受けよう」
「オーナー!」
 驚愕の声を無視して、バァレンは相手を睨みつけていた。
「それでは、また明日。失礼しますよ、皆様方」
 嘲るような笑みを浮かべたまま、男たちは再び闇の中へ姿を消した。


「……よくある話さ。火狸金融の子会社である不動産会社が、このフロリナビーチにリゾートホテルを建てようとしているんだ。巨大な敷地、豪華な施設、そしてプライベートビーチつきのな。問題は、そのプライベートビーチの中に、俺の店がひっかかっちまってるってところなんだ」
 苦々しげに、バァレンが説明する。
「今までにも、嫌味やらそれとない脅し程度なら、嫌というほど受けてきたが。どうやら、奴らなりふり構わなくなってきてるらしい。本社がなにやらダメージを受けたということは、その分、こっちで実績を上げなきゃいけないんだろう」
「……はぁ」
 実際のところ、火狸金融の本社に警察の手入れが入ったのは彼らとは全く関係のないところでの話だったのだが、何となく責任があるような気がして、次郎五郎は曖昧な返事を返した。
「でもオーナー。あんな勝負を受けるなんて、一体どういうつもりなんです? あいつらは、プロのテキヤを山ほど抱えてるんですよ。勝ち目なんて……」
 ラエル、と呼ばれた女性がバァレンを問い詰める。
「ああ、昨日までなら、俺たちに勝ち目はなかった。だが……」
 不敵な笑みを浮かべて、アロハシャツの男は視線を動かした。
「今、うちの店にはこいつらがいる」
「…………は?」
 真っ直ぐに見据えられて、兄弟はきょとんとした視線を返した。
「て、俺たちに勝負をやらせるつもりなんですか? バイトの分際で、そんな店の命運を分けるようなこと……」
「バイトだろうが何だろうが」
 思わず反論しかけたところを遮られる。その、声の重みに、次郎五郎はつい口をつぐんだ。
「この店にいる以上、俺たちは一連托生だ。バイトもオーナーも、そんなものは一切関係ない。みんなの力を合わせて、この危機を乗り越えなくちゃいけないんだ」
「いやそんないい話みたいに言われても」
 半眼になってツッこむ。
 だが、バァレンは引き下がらなかった。不思議な確信を秘めて、続ける。
「お前らなら、できるはずだ。明後日の祭りに出る、全ての屋台の売り上げを遥かに凌駕することが。……あの男の養い子である、お前らなら、きっと」
「……それは……」
 困ったように、次郎五郎が視線を逸らす。気遣わしげに、九十朗はそんな兄を見つめていた。
「……一つ、条件があります」
 数分間沈黙した後、小さく、銀髪の少年は呟いた。
「この勝負に勝ったら、あの人の残した借金を全部帳消しにしてもらえますか?」
 その言葉を聞いて、バァレンは破顔した。
「お安い御用だ。それどころか、今後一切料金免除にしたっていい」
 ひとつ頷いて、次郎五郎は踵を返した。
「行くぞ、九十朗。市場に偵察だ」
 ばさり、と解いた銀髪が夜風に流れた。



 祭り当日は、嫌になるほどの快晴だった。
 砂浜に沿って走る道路沿いに、賑やかな屋台が並んでいる。
 その一つの裏で、九十朗はこっそりと欠伸をした。
 昨夜は仕入れと仕込みで殆ど徹夜だったのだ。
 同じ境遇だった次郎五郎は、少し離れたところで軽く身体を解している。
 バァレンは屋台のセッティングに余念がない。
 リエルを初めとするダンサーたちは、客引きと称してどこかへ行っている。
「ほほぅ。たこ焼きですか」
 屋台の正面から声が聞こえて、兄弟は視線を向けた。
 先日の黒服が、表情だけは感心したように立っていた。
「職種の指定はなかったはずだ」
 固い声で、バァレンが返す。
「ええ、勿論です。いや、奇遇だと思いましてね。我々が用意した屋台も、たこ焼きなんですよ。ほら」
 示したのは、道を挟んで斜め向かいにある屋台だった。
 当然、奇遇な訳はない。火狸金融は、多くのテキヤを抱えている。数ある中から、こちらと同じ屋台に決めただけにすぎない。
「もうそろそろ、客が来はじめる時間ですね……。では、夜を楽しみにしていますよ」
 これみよがしに余裕を見せて、男はゆっくりと歩き去っていった。


 おお、と群集がざわめく。
 熱された鉄板に、じゅっ、と音を立てて〈タネ〉が引かれていく。その上からばらりと撒かれるのは、天かすに桜エビ。それらが鉄板一面に広がった状態では、どこに窪みがあるのかも判らない。しかし乱切りにされたタコは、確実に鉄板の窪みのほぼ中央へ埋没していった。
 その手さばきは、全てが酷く無造作。
 それは、作り手の技量が、熟練の域まで達しているからだ。
 この屋台は、つくりが一般的なものとは違っていた。
 普通は、屋台の前面に鉄板が置かれ、作業は客と対面するような形で行われる。
 だが、ここでは鉄板は空間を左右に分断するように置かれ、作り手は客に横顔を晒している。
 何度か手を加え、既に球形に仕上がっていたたこ焼きを、九十朗は真剣な眼で見据える。
 す、とピックを持った両手を構えるのを見て、群がった人々が期待に息を飲んだ。
 九十朗の手が、一閃する。
 ふわり、と柔らかささえ感じられる軌跡を描いて、数個のたこ焼きが宙に舞った。
 その落下先を正確に捕らえて〈舟〉が通る。
 鉄板を挟んで、九十朗と対峙していた次郎五郎が、全てを受け止めたのだ。よほど呼吸が合っていなくては、できる技ではない。
 感嘆の声が上がるのを聞きながら、仕上げの調味料をかける。
 完成したそれを、リエルが魅力的な笑顔と共に客へ受け渡す。
 人垣は、膨らむ一方だった。


 「……こんな……莫迦な!」
 背広の男が、掠れた声で呻く。
 バァレンの店の売り上げは、相手のものを軽く三倍ほど上回っていたのだ。
「一体どこでごまかしたんだ!」
「……あのな。ごまかしが効かないように、って、お互いに会計係はそっちとこっちの一人づつを混ぜてやってたろうが」
 呆れたような顔で、バァレンが返す。
 こちらからはラエルを派遣し、向こうからはテキヤの一人がやってきていた。実際のところ、客あしらいや会計に慣れていたのでむしろありがたかったが。
「さあ、約束だ。もう二度と、うちへ買収話など持ってくるなよ」
 はっきりと言い渡され、男はぎりぎりと歯噛みをしながらもようやく頷いた。
 わぁっ、と背後で店のスタッフたちが歓声を上げる。
「しかし……、あんな素人の小僧二人に、ここまでできるはずが……」
 だが未だに信じられないらしく、男はぶつぶつと呟いている。
「ふ。こいつらを只の子供だと侮ったのがお前らの敗因だ。この二人は、祭りのあるところへ現れ、確実に成功へ導く流浪のテキヤ集団、技量だけでなく、エンターティナーとしての名声も高い、伝説の〈チーム・ギャラクティカM〉のリーダーの秘蔵っ子だ!」
「な……っ」
「なにぃッ!」
 その場に激震が走る。
「く……。そうか、それでは無理もない……」
 力なく、火狸金融の雇ったテキヤの一人が呟く。
「納得したか?」
「ああ……。完敗だ」
 すがすがしさすら漂わせるその空気を。
「いや。それって、誰?」
 無造作に破ったのは、九十朗だった。

「……いやだから、お前らの養父……」
 予想もしなかった問いかけに、半ば呆然としてバァレンが返す。
「いやいやいやあの人テキヤじゃないから。ていうか、少なくとも俺たちを拾ってから三年間はずっと定住してたし」
 ぱたぱたと手を振って否定する。
「いやしかし、それじゃどうしてあれだけのものが作れたんだ?」
「どうしてって言われても……。あの人の出身地だと、これぐらい作るのは普通だからって仕込まれただけだけど」
 ますます開いた口が塞がらないらしいバァレンに、静かに次郎五郎が問いかけた。
「……つまり、俺たちは赤の他人の借金のカタに、タダ働きさせられてた訳ですか、店長?」
「え? あー、そうなるのかな、うん」
 視線をさまよわせる相手に、次郎五郎はにっこりと笑顔を向けた。
「人違いだと判った以上、勿論それ相応の報酬は払っていただけるんでしょうね?」

 結局、バァレンと次郎五郎の間の交渉が落ち着いたのは、翌朝のことだった……。

2006/07/17 マキッシュ