Here We Go!!
リス

 波止場に降り立って、次郎五郎は大きく伸びをした。
 フロリナから乗ってきた船はかなり小さなもので、さほど長時間ではないとはいえ、彼らは無理な体勢を強いられていたのだ。
 隣では弟が同様に屈伸をしている。
 穏やかな風が、潮の匂いを運んでくる。
 さて、と二人が動き出そうとしたとき。
「あれ? 久しぶりね」
 頭上から、穏やかな声が降ってきた。

 リス港。
 ビクトリア大陸の海の玄関口であり、冒険者たちは大抵一度はここを通過する。
 この兄弟も例外ではなく、この街は他に比べると馴染みがあった。
 そしてそこに住む人々も。
 この時も、自然に挨拶を返そうと声のした方向を振り仰ぎ−−。
 そして、硬直した。

 数メートル上の道に立っていたのは、彼らよりも数歳ばかり年上の少女。
 ピンクのレオタードに同色の手袋とハイヒール、黒のストッキングにウサギの耳を模した髪飾り、という格好なのは以前会った時と同じだったのだが。
「……ジェーンさん……」
「ん?」
 可愛らしく小首を傾げる彼女は、見慣れぬ上着を着ていた。
「何で白衣なんですか……?」
 何となく街路に座りこんでしまいたい衝動を抑えて、次郎五郎が問いかける。
 と、少女は胸を張って薄く笑みを浮かべた。
「ふ……っ。錬金術師のたしなみは、まず白衣からって言うじゃない」
「いや言いませんから」
「ていうか、他のところでたしなみを表現してくださいよ」
 口々に否定されて、頬を膨らませる。
「もう、なによ。私だって、錬金術師として立派にお仕事貰ってたりするんですからね」
 その言葉に、少し驚く。
 どちらかというとやや注意力が散漫の彼女に、精密さが売り物の錬金術師など勤まるのかどうか、甚だ疑問だったからだ。
「凄いですね」
 率直にそう返すと、途端に機嫌が直ったらしい。えへ、と笑ってから手招きする。
「そだ、いいものあげる。ちょっとこっち来て」
 兄弟は一瞬顔を見合わせたが、すぐに傍らの縄梯子を伝い、上の街路へと移動した。ジェーンは、路上に置いていた小さな箱を開いて、ごそごそと何かをやっている。
「はい、これ」
 笑顔と共に差し出されたのは、小さなカード。
 いや、これは。
「エリニアからオルビスに移動するための、航空券ね。一枚ずつあげる」
 慌てて、次郎五郎は手を振った。
「駄目ですよ、貰えません」
「え、何で? きみたちも時期的に、そろそろこの大陸は回り尽くしたあたりでしょ? そろそろ他の大陸に足を伸ばす頃なんじゃないの?」
 ジェーンの言うことは当たっていた。流石に、多くの冒険者を見てきただけのことはある。
 だが、しかし。
「でもこれ、結構高価なものでしょう? 俺たちだって、それぐらい自前で払える程度は貯めてるんですから、大丈夫ですよ」
「遠慮することないわよ。たくさん作ったから、ちょっと余ってるぐらいなの。原価もそんなにかかってないし」
「……ちょっと待ってください。作った?」
「原価って……」
 嫌な汗が背中に流れるのを感じて、少年たちは恐る恐る問いかけた。
 少女は得意げに笑みを見せて、頷いた。

「私が錬金術で作ったの」
「犯罪だ!!」
 次郎五郎が怒声を上げる。
 さきほどジェーンが開いていた箱を覗きこんで、九十朗が息を呑んだ。
「……次郎」
 小さく袖を引かれて、次郎五郎も視線を向ける。
 箱の中には、ジェーンが手にしているのと同じチケットが、みっしりと入っていた。
 軽く数百枚はあるだろう。
「これだけ……作ったんですか?」
「うん。一つできちゃうと、数をこなすのは結構楽なのね」
 あっさりと言う少女に、頭を抱える。
「それに次郎くん、ちょっと失礼だよ。これを作るのは犯罪なんかじゃないんだから」
「一体どこからそんな根拠がでてくるんですか……」
 力なく呟く次郎五郎を宥めるように、九十朗がそっとその背に手を乗せた。
「依頼してきた人たちがそう云ってたから」
「信じるな!」
 反射的に返してから、ふとひっかかった部分を問いかける。
「依頼してきた人たち……?」
「うん、今日ここで納品の予定なの」
 そして、そのタイミングを見計らったかのように−−

「やあ、ジェーンさん。お待たせしましたか?」

 彼らは、声をかけてきた。


 相手は二人組みだった。黒いスーツに黒いネクタイをびしっと締めている長身の男のやや後方に、無地のTシャツにジーンズの男。ジーンズの男は猫背気味の姿勢をとり、半眼で周囲を威嚇していた。
「いえいえ、先刻来たところです」
 白衣の裾を潮風にはためかせて、ジェーンが応える。
「それは何より……で……」
 にこやかに挨拶を交わしていたスーツの男が、少女の傍らに立つ兄弟に視線を留める。一瞬で、その顔から血の気が引いた。
「おおおおおおおおおお前らっ!?」
「あー……。なんだろこれ、腐れ縁かな……」
「まあ違法行為を依頼してきたって辺りで、相手の想像はついた気もするけどな……」
 疲れた表情で、兄弟は僅かにジェーンの前に出た。
 対峙する二人組みの男は、少なくとも顔見知りだった。ほんの一日前、南海の小島でちょっとした勝負を繰り広げた相手である。
「さて、何のことだか」
 『違法行為』という一言を耳にして、男は即座に平静さを取り戻していた。
「オルビスへ渡るためのチケットの偽造を、ジェーンさんに依頼しただろうが。これが違法行為じゃないとでも言うのか?」
「だから、何のことか判らないですね。我々がそんな依頼をしたという明確な根拠でもあるのですか?」
 次郎五郎の言葉をしれっと否定する男に、ジェーンは目を見開いた。
「それじゃ、この子たちが言うように、このお仕事は違法行為だったんですか!?」
 問い詰める少女に、男は鷹揚に手を振った。
「いやいや、まさかまさか。我々は、とある印刷物の作成を依頼しただけですとも。そちらの箱が、品物ですか? とりあえず、仕事の話は部外者のいない場所でしようじゃないですか」
 ジーンズの男が、箱を手にしようと数歩近づく。手を伸ばしたところで、九十朗がそれを掴んだ。
「……離しな」
「駄目だね」
 次の瞬間、九十朗の喉元に薄刃のナイフが煌いていた。
「離せ、つってんだよ」
 ジェーンが、小さく悲鳴をあげる。
 ……油断した。
 この男たちとその組織の人間たちに会ったのは、今までに二度。その二度とも、互いに実力行使には出ていなかったために、少年たちは相手を甘く見ていたのだ。
 火狸金融。
 その実態が、幅広く犯罪行為を行う組織であるということを。
「……九十朗!」
 鋭い声が響くと同時に、九十朗は手を離し、素早く後退した。ジーンズの男はこちらを追わず、ナイフを手に間に割りこんできた次郎五郎を睨み据えている。
「次郎……」
「いいから逃げろ、九十朗!」
 ナイフを持っていない方の手が後ろへ回り、指先が小さく動く。
 指示を飲みこんで、九十朗はチケットの詰められた箱を抱えると、身を躍らせた。数メートル下の街路へすたん、と着地すると、即座に走り出す。
「く……っ、おい、そっちはいい! 追え!」
 スーツの男の言葉に一瞬でナイフを収めると、ジーンズの男は躊躇いなく後を追った。
 結構足が速い。時間をかければ、九十朗にも追いつくかもしれない。
 その後ろから走るスーツの男は全然遅いが。
「次郎くん……」
 ナイフを剣帯に挟んで、振り返る。ジェーンが青い顔で立ち尽くしていた。
「判ったでしょう? あのチケットを作成するのは犯罪行為です。火狸金融はあれを売り捌いて利益を上げようとしてるんでしょう。そうなれば、貴女も共犯です。彼らの手に渡る前に処分しなくてはならない」
「うん……。折角作ったのに残念だけど、仕方ないよね……。作成経費は先に貰ってたから少なくとも損はしないし。でも、みんなあっちに行っちゃったよ?」
 寂しそうな顔で、三人が走って行った方向を見る。
「任せてください」
 とりあえず大人の汚い部分の発言は無視して、次郎五郎は更に上の街路へ移動した。


 ひゅん、と空気が鳴る音がして、九十朗は反射的に頭を下げた。
 頭上を通り抜けていったナイフが、きん、と小さな音を立てて石壁に当たり、地面に転がる。
 体勢を崩したせいで、数歩たたらを踏む少年の襟首に手がかかった。
 捕まった……!
 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
 引き倒されかけるのを、足を踏ん張って堪えた。とりあえず相手の目当ては九十朗の抱えこんでいる箱らしく、危害を加えるよりも先に手を伸ばしてくる。
 思い切り身体を捻り、その手から逃れる。
 だが、二人の距離はまだ酷く近い。男の方が手足が長い分、捕まえるには有利だ。
 息の上がった身体を制御しながら、相手の動きを見る。じり、と石畳の上で足をずらした。
 ジーンズの男の背後から、その連れのスーツ姿が追いついてくるのが見える。
 あれは肉体労働派ではないように見えるが、だからといって二対一では九十朗がやや不利だ。
 そう判断したのか、ジーンズの男がほんの少し気を抜いた瞬間。

「九十朗!」

 次郎五郎が、彼らの向かっていた先に姿を見せた。

「なに……っ!?」
 組織の人間が、驚きに目を見開く。
 種明かしをすれば、単純だ。
 このリスという港町は、結構広い。それだけに、街の要所要所に、距離を短縮するためのワープゾーンが仕掛けられている。
 以前にこの街に滞在していた兄弟はそれを知っていたために、先回りをして合流することができたのだ。
「遅ぇよ、兄貴」
 にやりと笑って、九十朗は箱を放り投げた。
 空中で、箱の中に入っていたチケットが数十枚ばらまかれる。
 慌てず、長剣を抜くと次郎五郎はそれに向けて振るった。その距離、約二メートル。いくら剣の長さを持ってしても、届くことはない。
 しかし、一瞬、剣全体から眩い光が迸ったかと思うと。
 チケットは全て、炎に包まれていた。
「あああああああああああっ!?」
 男たちの口から、驚愕と絶望の悲鳴が上がる。
 灰の塊が、地面に落下する。
 冷静にそれを見つめて、次郎五郎は剣を収めた。
「よし。成功率十パーセント以下にしては上々だ」
「……なんでそう次郎は度胸があるんだか……」
 今の技の成功率を初めて聞いた九十朗は、冷や汗をかきながら呟く。
 がくん、と地面に膝をついて放心している火狸金融の男たちはもう脅威ではないだろうが。
「次郎くん、九十朗くん、大丈夫!?」
 そこへ、ハイヒールを鳴らしてジェーンが走り寄ってきた。
 ワープゾーンを使わずにやってきたらしい。
 その手には、二枚のチケット。
 兄弟に渡すつもりで持っていたものが、まだあった。
「……っ、これだけでも……!」
 スーツの男が、通り過ぎるジェーンの手を掴み、それを取り上げる。一枚が彼の手に残り、もう一枚が宙を舞った。
「ジェーンさん!」
 走り寄る途中で、次郎五郎は空中のチケットをキャッチし、そして。
 ……停止した。
 見ると、スーツ姿の男も停止している。
 訝しげに、九十朗とジーンズの男はそれを見ていた。
「……ジェーンさん……」
「あの、これ、裏側に何か余分なものが書いてあるような気がするんですが……」
 恐る恐る、といった風に、チケットを持った二人は問いかけた。
 きょとんとして、白衣の少女が答える。
「え? あ、うん。だって作品に署名を入れるのは、錬金術師として最低限のたしなみよ」
「たしなみじゃねぇええええ!」
 『作成:錬金術師ジェーン』と書かれたチケットを握り潰して、彼らは仲良く怒声を上げた。

 
2006/12/24 マキッシュ





「ちなみに、ちゃんと『販売:火狸金融』とも入れてあるの。責任の所在はきちんとするべきだものね」
「うわあぜってぇ売れねぇ」