Here We Go!!
ルディブリアム

 腹に響く音で、目が覚めた。
 今いる場所が把握できなくて、ぼんやりと空を見上げる。
 頭上で、汽笛が鳴っていた。
 がつん、と身体に鈍い衝撃が伝わってくる。
「……ああ、船が着いたのか」
 重い頭を持てあましながら身体を起こした。
 隣では弟が未だに眠ったままだ。
 この二日間徹夜であった兄弟は、船に乗りこんでまもなく眠ってしまったのだ。道中の景色を見ることすらできなかった。
 まあ、また乗ることもあるだろうと思い、弟を揺り起こす。
「ん……次郎?」
「起きろ。着いたぞ」
 小さく呻きながら、九十朗も起きあがる。
「うう……。次郎より後に目が覚めるなんて……」
「どんなこだわりだそれは」
 悔しそうな弟に苦笑して、低血圧気味の兄は、荷物を手に立ち上がった。

 船を下りると、色鮮やかな船着場が広がっていた。
 今まで訪れたことのある街に比べると奇妙だったが、兄弟は全く気にならなかった。
「……とりあえず、今日は先に宿をとって一眠りするか……」
「……うん……」
 欠伸を繰り返す弟と目を擦っている兄とは、街の正門へと近づいていく。
 門番なのだろう、赤い制服を着た兵士が、こちらを認めて満面の笑みを浮かべた。
 きびきびと敬礼をして、声をかける。

「お帰りなさいませ、王子様方!」

 ……眠気は一瞬で吹き飛んだ。



 弟と顔を見合わせて、同じく呆然としているのを確かめる。
「ええと……俺たち、王子ではないんですが。人違いではないですか?」
 一瞬、相手はきょとんとしたようだったが、すぐに得心したように微笑む。
「ああ、王子様方は初めての御入国ですか?」
「いや何その文章」
 力なく九十朗が呟くが、聞いている風ではない。
「それでは改めまして。ようこそ、夢と希望の国、ルディブリアムへ! 私、門衛のマルセルと申します。どうぞお見知りおきを」
 深々と頭を下げてくる。
「さて、王子様方がルディブリアムに滞在される間は、王国の財力によって、全てのものを無償で提供させて頂いております。しかし、ルディブリアム城は現在ご利用できなくなっておりまして、ご宿泊やお食事等は街でのご利用をお願い致します」
「……はぁ」
 気のない返事をする次郎五郎に、マルセルは突然びしっと人差し指を突きつけてきた。
「この王国内では、王子様方は殆どどのような行為でも許されております。が、どうしても守って頂かなくてはならない掟もございます」
「ええと、どんな?」
「まずは、国民や他の王子様、お姫様方に、どのような形であれ危害を加えるようなことはなさらないように。
 そして、これは王子様方が魔法使いであった場合ですが、どのような理由であれ、炎と雷の魔法はご使用にならないよう、お願い致します。我が国の国民は大変デリケートでありまして、それらの魔法は酷く国民を脅かします。もしもこれらの掟に背いた場合は、王子様方とはいえ、城の地下牢へ入って頂くこととなりますので」
「……了解」
 気圧されたような返事に満足したか、マルセルは門の端へと移動した。
「それでは、どうぞ、ルディブリアムへ! 楽しんできてくださいませ」
 彼らは顔を見合わせ、小さく溜息をつくと門の中へと踏みこんでいった。


 街は、やはり少々変わった色彩をしていたが、人々の生活は他の街と変わらないように見えた。
 門から少し入ったところに広場があり、そこには巨大な時計塔がそびえている。
 物珍しげにそれを見上げていると、背後からいきなり何かがぶつかってきた。
 ぎょっとして振り向く。そこには、腕に縋りつくようにして一人の少女がいた。
 長めの黒髪が揺れ、頼りなげな瞳が懇願するように見上げてくる。
「あの……」
「お救けください、通りすがりの王子様!」
「……うわあ」
 小さく呟くのに気づいていないのか、少女は焦った様子で背後を伺った。つられて視線を向けると、身体の大きな男たちが数人、こちらへ走ってきている。
「逃がさねぇぜ、お嬢ちゃん」
「ちょっとつきあってくれって言ってるだけじゃねぇか」
 男たちは、覗きこむように少女に話しかけてくる。
「……べったべたやなぁ……」
 思わず九十朗が独りごちる。
「やめて下さい!」
 少女が、男たちとの間に次郎五郎を挟む形で身体を避けた。少年たちの存在に初めて気づいたように、彼らは眉を寄せる。
「何だ、こんなひょろい兄ちゃんが救けてくれるとでも思ってるのか?」
 大声でげらげらと笑い出す。それに対して口を開こうと息を吸った、その時。
「ちょっと、アニキ、こいつらまさか……!」
「な、なにぃっ!?」
 突然仲間内でひそひそと話し始めるのに、やり場なく片手を上げる。
「ちっ、今回だけは大目に見てやるぜ!」
 全く状況の掴めぬまま、男たちはあたふたと姿を消した。
「……ええと……」
 何となく取り残された気がして、少女へ視線を向ける。
「ありがとうございました、王子様! お強いのですね!」
「っていうか、何もしてないんだけど」
 力なくそう告げると、少女は勢いよく首を振った。
「いいえ、真に強い方ほど、そう簡単に実力行使には出ないものです! ほら、昔からよく言うじゃないですか」
 ぴ、と人差し指を立てて、少女は満面の笑みで続けた。
「『金持ち喧嘩せず』って」
「いやそれ違う絶対」
 少年たちのツッコミをものともせず、少女は深々と頭を下げる。
「ともあれ、ありがとうございました。ささやかですがお礼をしたいので、私の家まで一緒にいらしてくださいませんか」
「でも大したことしてないんだから、そう気にしないで」
 そう、次郎五郎が返した、その瞬間。
 ぴろりろりーん。
 奇妙な音が響いて、兄弟はぎょっとして周囲を見回した。
「な……何だ?」
 すると、今までくるくるとよく表情を変えていた少女が、ふっと無感動な顔になった。
「好感度がアップしました」
「……え?」
 平坦な声でそう告げられて、まじまじと少女を見る。と、いきなりきょとんとして彼女は二人を見上げてきた。
「どうかなさいましたか?」
 何やら薄ら寒いものを感じて、二人がやや後じさる。
「えと、じゃあ俺たちはこの辺で」
「あ、あの、王子様、ではせめてお名前だけでも……」
「名乗るほどの者ではありませんから!」
 言い捨てて、その場を駆けだした二人の背後で、また先ほどの奇妙な音が鳴っていた……。

 闇雲に街路を十数分間走り続けて、ようやく二人は足を止めた。
「何だったんだろうな、あれ……」
 流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら、次郎五郎が呟く。九十朗も、片手でぱたぱたと顔を扇いでいた。
「新手の美人局とか?」
「どこでそんな言葉覚えてきたんだお前は」
 半眼で呟くのに、弟は視線をさまよわせた。
「あ、あそこに宿屋があるみたいだぜ、兄貴」
「ごまかすなよ……。まあ、とりあえず一旦宿を取って休むか」
 荷物を持ち直すと、彼らはその建物へ向かって歩き出した。

 夕方近い時間で、宿屋の一階にある食堂は結構な人が入っていた。
 主人に話しかけようと、奥へと進んでいた二人は、よろめいた客とぶつかった。
「あ? 何だお前、王子様だからってでかい顔して歩いてんじゃねぇぞ」
「いや王子じゃないんだけど……」
 何度繰り返したかしれない返事は、今まで通りに黙殺された。
「こちとら、田舎から徴兵されて出てきてるんだ。お前たちみたいな気楽な生活とは訳が違うんだよ」
 別に気楽ではないんだがなぁ。
 そう思いつつも、酔っぱらいに反論しても意味はないと、二人は無言でやりすごそうとした。
 が、どうやら相手は泣き上戸に発展したらしい。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、更に絡んでくる。
「俺はな、田舎に幼馴染みの娘がいるんだ。田舎にゃ勿体ないぐらいの可愛い娘でさ。今も変な虫でもついてないかって気が気じゃねぇんだよ」
「はあ……」
 ぐい、とグラスを空けると、まだ若い男はしみじみと呟いた。
「俺……、この兵役が明けたら、あの娘と結婚するんだ……」
 でろでろでろでろでーん。
 先ほどとは違う、何やら不吉な気配のする音が響いた。ぎょっとする二人に追い打ちをかけるように、また平坦な声が聞こえてくる。
「死亡フラグが成立しました」
 反射的に踵を返す。急いで扉を開いたところ、向こう側から入ろうとしていた相手と鉢合わせした。相手の黒い髪が、あっけなくよろめく。
「す、すいませ……」
「まあ、先ほどの王子様!」
 驚きに目を見開いていたのは、つい数分前に振り切った少女だった。
「こんなところでお会いするなんて、これはきっと運命ですわね!」
 そう告げる少女から、更に高らかに効果音が響き渡る。
 ……兄弟は、脱兎の勢いで走り出した。

「な……、何なんだ、この街……」
 人気のない方へと走り続けて、ようやく一息つく。
 流石に疲労を感じて、次郎五郎がふらついた。
 とある民家の扉に、がたん、と音を立ててぶつかる。
 体勢を立て直そうとした瞬間。
「お父様!?」
 叫び声と共にその扉が勢いよく開く。
「……次郎っ!」
 後頭部への鈍い衝撃を感じ、弟の声を遠くに聞きながら次郎五郎の意識はとうとう闇に沈んだ。




 聖殿の内部は、以前と変わらず闇が満ちている。
 幾つかの篝火が、高座の上ではなく床に座っている長老を照らし出していて、次郎五郎は少なからず驚いた。
 じっと少年を見上げた後、長老は静かに口を開く。
「ふむ。多くの経験を積んだようだな」
 返事は期待していないようで、長老はすぐ、自分に向かい合うように敷いてある鮮やかな毛織布と数個のクッションを示した。
 静かに、そこへ座る。
「さて。エリニアから話は聞いておるが、改めてそなたからも聞くとしようか。……ゾンビルーパンとやりあったとか」
「はい」
「その時のことを、詳しく話してみよ。何を思い、どう行動したか、小さなことまでも全て」
 目を閉じ、記憶を少しでも整理しようとする。
 エリニアからペリオンまでの道程でも何度も試みたことだったが、それは未だ叶わなかった。
「あの時、俺はかなりの出血だったので、あまりはっきりと記憶に残ってはいないのです。ただ、弟と妖精を護ろうとして」
「妖精を?」
 訝しげに長老が口を挟む。
「いけませんか?」
「いや。人間……特に戦士と妖精は折り合いが悪いのでな。少し気になっただけだ」
「恩があったんです」
 頷いて、長老が先を促した。
「俺は剣を取って、ゾンビルーパンに突き立てました。その時、……何だか、妙な感じがして」
 唇が乾いてくる。言葉が出ないのはそのせいだと言い聞かせて、何とか続けた。
「身体の隅々から、全ての力が剣に向けて吸い出されていくようでした。俺が切りつけたゾンビルーパンは、白い光を発して、消滅しました」
 ふむ、と呟いたが、相手はそれ以上言葉を発しようとしない。
「直前に、妖精が俺に剣を取ってくれました。俺は、その時に何か剣に細工をされたのかと思っていたのですが」
「いや。妖精は金属への干渉力はない。その可能性はありえないだろう」
「では、どうしてあんなことに……」
 焦れて問いを重ねる少年を、長老はひらりと片手を振っていなした。
「話を少し戻そう。……ゾンビルーパンは、手強かっただろう」
「はい」
「あれには、武器による物理的な攻撃はあまり意味を成さない。一度死んだモノだ、どれほど傷をつけても立ち上がってくる。しかも、大きな群れで行動する。状況は絶望的だ」
「……はい」
 今なら、判る。あの時一人で立ち向かったのは、ただの無謀だった。生命を惜しむなら、なりふり構わず街へと逃げ帰るべきだったのだ。……大陸の守護魔法によって死は免れたとしても、身体につけられた傷が全て完全に回復するわけではない。腕や足を失わずに、街へ送り返されるなどという保証はないのだ。
「どうやれば勝てるかと、考えたのだろう? 何を思いついた?」
「剣で斬りつけても、殆ど効果がありませんでした。火のついた薪は、少しは怯えるようでしたけど。だから最初は、俺がもっとずっと強ければ勝てるのではないかと思いました。それから、もしも俺が魔法使いであったなら、勝てたのではないかと。……そして……」
 膝頭を摑む手に、力が入る。ぎり、と爪を立てて、その痛みで自分を奮い立たせた。
「弟であったなら、勝てたのではないか、と」
 自分の中の羨望や挫折を表に出すのは、酷く、苦しい。
 しかし、それを避けて通ることができないことを、次郎五郎は知っていた。
「魔法使いであったなら、か」
 [コブシを開いて立て]と称される男が、呟く。
「だけど、俺は今まで魔法を使ったことなんて……!」
「今までに、魔法を使う戦士が全くいなかったわけでは、ない」
 あっさりと告げられて、次郎五郎は目を見開いた。
「魔法を使う……戦士?」
「ごく稀にしかおらんがな。座りなさい」
 知らず、浮かせかけていた腰を、ぺたりと床に落とす。
「さて、それではそなたに何ができるか話してみようか」

「言っておくが、わしは魔法を使えるわけではない。だから、これからそなたに話すことは伝聞と推測だ。そなたの技術は、自分で磨いていかねばならない」
 まだ呆然としている頭を、懸命に集中させる。
「魔法とは、どうやって使うのだと思うね?」
 いきなり長老は根本的なことを訊いてきた。
「……呪文を、唱えてですか?」
 戸惑いながらも答える。一つ頷いて、だが、と彼は続けた。
「呪文は、ただ口に出すだけでは、魔法は使えないのだそうだよ」
 腑に落ちなくて、小首を傾げる。魔法というのは、素質のある者が口にすれば使えるものだと思っていた。
「そうだな……。我々は、武器をもって敵と戦う。しかし、ただ武器を振り回せば威力が出るかといえば、そうではない」
「はい」
 戦闘で瞬時に判断しなくてはならないことは山ほどある。敵の急所の位置、剣を振るう角度、そしてその力加減。ただ力いっぱい叩きこめばいいというものではない。相手の身体から抜けなくなってしまっては、その後の行動は極めて不利になる。
「魔法使いたちは、『事象を変化させる』という意志を、呪文を口に出すことによって、具現化する。『意志』と『行動』が伴わなければならないわけだ。『意志』だけでも、『行動』だけでも、それは魔法という結果を生み出さない」
 魔法という結果、と小さく呟く。
「戦士にとっての『行動』は武器を振るう、ということだ。ここまで言えば、大体のところは判っただろう」
 ゆっくりと、頷く。長老は少しばかり視線を和らげた。
「鍛錬することだ。日々、ひたすら鍛錬することだ。それなくしては、何者であっても何一つ成しえることはない」
 深く、少年は頭を下げた。



 目を開いても、闇が深かった。
 まだあの戦士の村の聖殿にいるような気分になる。
 ごろりと寝返りを打ち、間近に弟の寝顔を見て、ようやく次郎五郎は状況を把握した。
「そうか……。ルディブリアムに来たんだっけ」
 上体を起こして、周囲を見回す。窓から街灯の灯りがぼんやりと差しこむ部屋の中は、ごく普通の寝室のようだった。
 一つの寝台に、兄弟は二人で寝ていたようだ。少々ばつの悪さを感じながら、そっと床に下りる。
 その時、静かに部屋の扉が開いた。
「お目覚めですか?」
 小さな声で尋ねてきたのは、一人の少女だった。二つに分けて耳の後ろで括っている金髪が、手にした蝋燭の光に煌めく。
「ええと、俺たちはどうしてここに?」
「すみません、私、てっきり父が帰ってきたものと思っていて、急いでドアを開けたら貴方とぶつかってしまって……」
 そう言われて、ようやく気を失う前の記憶が蘇る。
「……で、こいつは?」
 憮然として、弟を指さす。
「眠いので少し寝かせて欲しいと言うことでしたので。ごめんなさい。うちにはまともなベッドが一つしかないものですから」
「いや、貴女を責めてる訳じゃない」
 むしろ、自分も気絶したというよりは眠ってしまったという方が近いのだろう。
 溜息をついて、九十朗を揺り起こそうとする。
「あ、あの、まだお休みになっていていいのですけど」
「いえ、これ以上ご迷惑をおかけする訳には」
 だが、弟の眠りはかなり深い。
「朝までどうぞごゆっくりなさってください。お食事も用意しておりますし、宜しければ……」
「飯っ!?」
 即座に身を起こした弟を、次郎五郎は万感の思いをこめて殴り倒した。


 少女は、ネミと名乗った。
 よく考えるとほぼ一日何も食べていなかったため、がっつくように食事をする兄弟をにこにこと眺めている。
「貴女は、俺たちのことを奇妙な名前で呼ばないんだな」
 一段落ついて、次郎五郎はそう切り出した。
 ネミが、はっとしたように目を見開く。
「す、すみません! 私、街の人たちとはプログラムが違うものですから、つい……。あの、王子様、とお呼びすればよかったんですよね?」
「いやそれはやめて欲しいんだけど」
 即座に拒絶した九十朗に、きょとんとした視線を向ける。
 何やら会話の流れにそぐわない言葉が出てきた気がして、次郎五郎が口を開いた。
「あの、プログラム、って……?」
「ですから、私は接客用ではなくて、お父様のお世話をするための家庭用ですから」
 眉を寄せる兄弟に、少女は小首を傾げる。
「ひょっとして、ご存じなかったんですか? ルディブリアムの住人は、殆ど全て、訪問者をおもてなしするための機械人形なんですよ」





 ネミの話によると、そもそもルディブリアムの成り立ちはこういうことだった。

 ほんの八年ほど前まで、この土地はただの荒野でしかなかったのだという。
 住み着く人間もおらず、モンスターも少ないために冒険者ですら立ち寄ることもない。
 しかし、とある人物がこの土地に目をつけた。
 その人物は、ここに夢と希望に満ちた王国を設立しようとしたのだ。
 来訪者が、辛く、苦しい生活を一時でも忘れ、満ち足りた想いで過ごしてもらえるような、王国を。
 そしてネミが『お父様』と呼ぶカホを筆頭に、このルディブリアムを作り上げたのだ。

 そして、現在この国に居住するものは、そのカホと部下の数名を除き、全て機械人形である。
 彼らは来訪者をもてなし、楽しませるためだけに存在している。
 ただネミだけが、カホの日常生活の手助けのために作られていた。



「……機械人形、ねぇ」
 どう反応を返していいのか判らず、とりあえず次郎五郎はその言葉を反復した。
「どうかなさいました?」
 きょとん、として尋ねてくるネミに、軽く手を振る。
「いや、なんて言うか……すぐには信じがたいな」
「でも、私たちは嘘はつけませんから」
 しかし、その嘘をつけないというのがそもそも嘘だったら嘘じゃないか。
 口には出さないが、少年たちの猜疑心は感じられるのだろう。ネミは眉間に皺を寄せて、考えこんだ。その姿は、全く普通の少女にしか見えない。
「……首を外したりしたら、信じて頂けます?」
「いやいやいやいやいや、信じるから!」
 真面目な表情で両手を頭にかけたネミを、慌てて制止する。そんな形での証明は目にしたくない。
「ああ、よかった。一度外すと癖になってしまいますし、故障でもしたら大変ですもの」
「……そうだね……」
 力ない笑みを浮かべ、同意する。
 話題を変えようと、九十朗が口を開く。
「ええと、それで今、お父さんは? 夜遅いから寝てるのかな」
 その言葉に、ふと、先ほど起きたときにネミが言っていたことが気にかかる。
 この家には、一つしか寝台がない、と。
 機械人形であるネミは夜に眠らないとすると寝台は不要だろうが、では彼らが使っていた寝台の主は。
 ふっと顔色を暗くして、ネミが答える。
「お父様は、お仕事から帰ってきていないのです」
「へぇ。忙しいんだね」
「ええ、もう二十三日ほどになります」
「……え?」
 想像した以上の日数に、思わず問い返す。
「そんなに長い間帰れないほど忙しいの?」
「いえ、そういったことは一言も。朝出て行くときも、いつもと同じ時間で帰ると言っていましたし」
「事故にあっているとかではないのか?」
 嫌な予感を感じて、口を挟む。
 あの人がいなくなってしまった日の、絶望すら含んだ不安を思い出したくはない。
「でも二十三日前から、お父様の姿を見た人は街の中におりませんから、事故ということはないと思うのですが」
「余計悪いだろ、それ!」
 渾身の力で突っこむが、ネミはきょとんとこちらを見ているばかりだった。
「……次郎、俺たちの方がおかしいんだろうか……」
 急に徒労感に襲われたのか、疲れた顔で九十朗が囁く。
「いや、多分、記憶する能力は高いんだが、それを相互に結びつけて考える方面が弱いんだろう。……だが、事故かなにかで帰れなくなっているとなると、捜索は必要だな」
 彼女を説得できなくても、警備隊か何かに要請することはできるだろう。
「その、二十三日前のことで、他に何か変わったこととかはなかったか? どこかへ出かけるとか」
「はい。……お父様のその日の予定は、ルディブリアム城でのメンテナンスでした。作業員全員で0800時に出発しています」
「え……?」
 突然、ネミの顔から表情が消えた。淡々とした声で告げられて、先ほどの『機械人形』という言葉が真実味を帯びる。
「1132時、全住民を対象に緊急のプログラムダウンロードを実行。終了は1743時。その間の都市機能は停止。終了後、タイプZ以外の緊急事態対応レベル引き上げにより、全訪問者二十七名を地下牢へ収容。ルディブリアム城、二つの塔の出入り口を完全封鎖、及び大陸間定期船の出航を無期限停止。入航に規制なし。以降の訪問者への対応プログラムに若干の変更あり。イベント三十二種追加」
 ふぅ、と息をついて、ネミの表情が戻る。
「こんなところですけど……」
 不審そうに、硬直している兄弟を見つめる。
「どうかなさいました?」
「いや……。今、もの凄く聞き捨てならないことを聞いたような気がするんだけど」
 背中に嫌な汗を感じながら、呟く。少女が、きょとん、と小首を傾げた。
「出航が無期限停止、って、つまり俺たちはこの街から出られないってことか……?」
「ええ、塔の入り口も封鎖されていますから、そうなりますね」
 さらりと肯定されて、少年たちは顔を見合わせた。
 この街に閉じこめられるなど、不都合などというレベルではない。しかも、期間は無期限。
 しかし、おそらくネミを始めとする街の住民たちはあてにならない。この事態は公式なものだ。今のところ、彼らからは全く敵意を向けられていないが、何らかの命令があればすぐさまそれは逆転するだろう。
「とりあえず、現在のこの街の長老、みたいな地位にあるのはカホさんってことだよな……。いなくなる前に、街の封鎖をすることは聞いていた?」
「いいえ、全く」
 だが、ネミに黙っていただけかもしれない。カホが全ての決断を下しているという可能性は高い。
「どちらにせよ、カホさんを見つけ出すことが先決だな」
「でも、誰も姿を見たことがないって……」
 不安そうに、九十朗が呟く。それに、安心させるように次郎五郎が笑みを向けた。
「こういう時に使える手は二つだ。判らないことは人に訊け、ということと、人の隙につけこめ、だな」
 ……しかし、言葉の内容はとても安心できそうにないものだったが。


 夜が明けて一時間ほどした頃、兄弟は時計塔のある広場にいた。
 時間的なものもあるのかもしれないが、周囲を見回しても冒険者の姿は殆どない。
 さほど待つこともなく、彼女は姿を見せた。
「まあ、昨日の王子様方!」
 喜びの色を満面に浮かべ、昨日この場所で出会った黒髪の少女が近づいてくる。
「おはようございます。お早いのですね」
「おはよう。実は、貴女を待っていたのですよ」
 軽く会釈して、次郎五郎が挨拶を返す。九十朗は数歩離れてその様子を見守っていた。
「私を?」
 僅かに頬を染めて、少女が俯く。
「ええ、実は俺たちはカホさんという人に会いたかったのですが、どうもご不在のようだったので。今どこにいらっしゃるかをご存じでしたら嬉しいのですが」
「カホさん、ですか? さぁ……。二十四日ほど、姿をみてないですね」
 少女は戸惑ったように視線を返してくる。
「そうですか……。困ったな」
「ごめんなさい……」
「ああ、貴女が悪いわけではありませんから、そんな顔をしないで下さい。それにしても、カホさんがいないとなると、街の皆さんもお困りでしょうね。故障してしまった時など、どうされているのですか?」
 さらりと告げられた言葉に、少女はきょとんとした。
「あの、私たち、故障などはしませんが……」
「それは失礼しました。では、身体の調子が悪い時は?」
 やや身を屈め、銀髪の少年は僅かに上目遣いに少女の顔を見上げる。知らず、更に頬を染めて、少女は口を開く。
「そういうときは、お城の地下牢に参ります」
 にこり、と笑みを見せて、次郎五郎は背を伸ばした。
「そうですか。ありがとう、お嬢さん。またお会いしましょう」
 優雅に身体を翻し、少年はその場を去っていく。
 その後ろ姿を悩ましげに見送る少女の背後から、効果音が連続で鳴り響いていた……。

「……俺、次郎のことが判んなくなってきた……」
 まだ早朝だというのに疲れた表情で、九十朗が呟く。
 それに、兄は肩越しにちらりと笑みを見せた。
「他人のことが何もかも全部判ると思ってるようだと、まだ半人前だな」
「はいはい。……で、俺たちどこに向かってるんだ?」
 一見のんびりと道を歩いているだけのように思えるが、普段の兄ならそんな無駄な行動を取らない。
「先刻の彼女は、身体の不調があったら城の地下牢に行くと言っていた。……なら、そこにはカホさんなりその部下なり、直せる人間がいるってことだ」
 目的地はそう遠くない。街の中に、広大な面積を占めている、そこは。
「ルディブリアム城に突入するぞ」



「まさか連続で不法侵入をやらかすとは思わなかったな……」
 城壁を見上げながら、九十朗が呟く。
 だが、先日の件と今回とでは、随分違いがある。
 第一に、この城は元々公開されていたものだ。今は非公開になっているが、精々城門に衛兵が二名配置されている程度である。その目の届かない辺りから入りこめば、まず見つからない。城内も警備は手薄だろう。
 警戒を怠らずに行けば、そう手間取ることもないだろう。
「なあ次郎」
「ん?」
 軽く準備運動をしながら、九十朗が口を開く。身につけた鎧が、小さく金属音を立てていた。
「カホさんとネミって、血が繋がってないんだよなぁ」
「そうだな」
「……俺たち、莫迦かな」
「かもな」
 苦笑して、次郎五郎は両手を城壁についた。そのまま背中を丸める。
 この城壁の高さはさほど高くないが、九十朗が鎧を身につけたままでは超えられない。だが、万が一を考えると今回は鎧を身につけておいた方がいい。
 心得たように、九十朗は兄を踏み台にして一気に壁の上に躍り上がった。そのまま下へ手を伸ばし、次郎五郎を引っ張り上げる。
 飛び降りるのは簡単だった。僅かに鎧が鳴ったが、誰も近づいてくる気配もない。
 城の外壁にそってしばらく歩くと、城から庭へ出るための大きな扉があった。普段から開放されているのか、鍵はかかっていない。
「不用心だな」
「全くだ」
 そのまま廊下を進む。十字路まで行くと、城内の地図が設置されていた。地下牢までは、さほど遠いわけではない。


 ぼんやりとした灯りが、石造りの床を照らしている。
 湿気を含んだ冷たい空気が不快で、次郎五郎は僅かに眉を寄せた。
 廊下の突き当たりにある鉄の扉に手をかける。これもまた、鍵はかかっていないらしく簡単に開いた。わざとらしい軋みが耳につく。
 ざわり、とその奥の薄闇が蠢く。
 人の気配は多い。
「カホさんか、その部下の方。ここにいらっしゃいますか?」
 低く囁くと、そのざわめきは増した。
「なんだ?」
「衛兵じゃないのか?」
「どうしてここへ?」
「出してくれ!」
 地下牢の鉄格子の間から、無数の腕がこちらへ伸びてくる。少なからずそれに怯んだところに、一際低く力のある声が響いた。
「一番奥の牢だ。こっちにくるといい」
 ゆっくりと、通路を進む。最後の鉄格子の奥に、水色の作業服姿の一団が悄然と座りこんでいた。
 その中心にいた、初老の男性が口を開く。
「わしがカホだが。こんなところまで何の用だね?」

「そうか……。ネミが」
 手短に事情を話したところ、カホは目頭を押さえてやや俯いた。
「この牢を開放するには、どうしたらいいのですか?」
「普段なら、これは私の持っているマスターキーで簡単に開く。元々、ここは宿泊施設でね。地下牢という珍しい環境で過ごしてみたいというお客様に対応していたものだ。しかし、今は奴によってプログラムが変更されたようだ。看守部屋でパスワードを入力しない限り開閉は不可能になっている。勿論、パスワードの内容はわしらには判らない」
「奴……?」
 問いかけに、カホは一つ頷いた。
「奴の名前はラキ。半年ほど前に、ここで働きたいとやってきたのだ。仕事ぶりは真面目で、徐々に重要な仕事を任せつつあった。だが、奴は一月ほど前、ルディブリアム城のメンテナンス中に隙を見てマザーコンピューターへ侵入し、王国の全てを掌握した。それ以来、奴は王を名乗り、ここへ罪もないお客様たちを閉じこめ続けている」
 怒りのあまり、カホは拳で床を殴りつけた。
「奴はわしだけではなく、わしのボスにすら泥をつけたのだ! あの玉座は、ボスのみが座ることを許されていたものを!」
「ボス?」
「ああ、わしは言うなれば雇われみたいなものだ。わしの上司に当たる人間が、このルディブリアムの総責任者ということになる。ボスの理想を、奴は踏み躙った。見下げ果てた輩だ」
「しかし工場長! 奴のやったことは確かに許されるべきものではありません。が、住人たちに『好感度システム』を実装したことは評価してもよいのではないでしょうか!」
 突然、部下の一人が声を上げた。
「何度も話したが、それではお客様たちへの差別化に繋がってしまう。我々は心をこめて、全てのお客様へ対応しなくてはならないのだ。……それに、『死亡フラグ』は、夢と希望というコンセプトにはそぐわない」
「ですが、それにより更なるドラマティックな展開も望めるのではないですか? 検討してみる価値はあったと思います」
「あー……いや、そういうどうでもいい話は後にして貰えますか?」
 一転して白熱した議論が展開されそうになったが、次郎五郎は醒めた口調でそれを遮った。
「ひょっとしてさ。俺たちを『王子様』呼びするのも、そのラキって奴の始めたこと?」
 何となく救いを求めて、九十朗が問いかける。それに、カホは真顔で答えた。
「いや、それは創立当時からの伝統だが」
「……そうですか……」
 力が抜けそうになるのを、何とか堪える。
 もうこのまま帰ってしまおうかという誘惑に駆られたが、どちらにせよこのままでは街からの脱出は不可能だ。そう自分に言いきかせて、彼らは何とか気力を保たせた。
「この事態を解決する方法はありませんか?」
「ふむ……。先ほど話したマザーコンピューターを過去の状態に復元すれば、奴の改竄した部分を白紙に戻すことができる。創立当初の状態になってしまい、それから一月前の状態まで回復させるには少々時間がかかるが、バックアップは定期的に取ってあるからな」
「それは、俺たちにもできることですか?」
「手順はさほど難しくはない。マザーコンピューターにアクセスするためのパスワードも変えられている可能性があるが、わしとボスだけが知っている最高権限までは、奴も変更はできない筈だ」
 そこまで言って、カホは深刻な顔になった。
「だが、奴は近衛兵を掌握している。ラキは彼らを総動員してでも君たちを阻止しようとするだろう。二人だけで、それを突破していけるか?」
「力押しなら、むしろ任せて欲しいところですね」
 少なくとも機械をいじるよりは。


 マザーコンピューターは、謁見の間の玉座の裏に隠し扉があり、そこから地下へ下りていった先にあるらしい。
 地下牢から謁見の間までは数階上がらなければならない。一応の用心をしつつ、彼らは暗い通路を進んでいた。
 カホの言っていた近衛兵は、今までに数体見かけた。しかしそれらは二人が近づいても微動だにせずに立ちつくしているだけだ。
「何ていうか……落ち着かないな」
 胸壁に立っている兵士を横目で見ながら、九十朗が呟く。
「まあ、これで大体ラキって奴の性格が判るけどな」
 通路の角から奥を伺いつつ、小声で次郎五郎は返す。
「性格?」
「まず、本当に俺たちの侵入に気づいていない場合。奴は自分に敵対する者の存在も想像できない、ただの莫迦だ。そして、気づいていて放ってある場合。これは、侵入者を許したことを大したことがないと思っている訳で、これもただの莫迦だ。それから、気づいていて、警戒もしていて、それでも何のリアクションも起こしていない場合。これは、とてつもなく自分に自信を持ってるんだろう。俺たちなんて、指先で捻り潰せると思ってるのさ」
「なんだ。じゃあ、どちらにせよただの莫迦じゃないか」
 あっさりと九十朗が断じる。僅かに肩を竦めて、次郎五郎は歩みを再開した。
「そういうことさ」

 金色に塗られた巨大な扉の前で、二人は足を止めた。
 ここが謁見の間。扉の向こう側は、玉座の置かれた広大な広間である。
 結局、ここに来るまで小競り合いの一つも起きてはいない。
 九十朗が扉に手をかけた。ゆっくりと押し開けるその隙間を覗くために、次郎五郎は反対側の扉にぴたりと身体をつける。
 扉の内側は、完全な闇だった。
 滑りこむように中に入ると、即座に暗がりへと移動する。
 人の気配は、一つ。
 数秒も間をおかず、遠くに一つの灯りが点った。
 床に円形に広がる光の中央に、一人の男が玉座に座っている。
 長い黒髪に漆黒のマント。額に嵌められた黄金のサークレットが眩く光を反射した。
「よくここまでやってきた……と言っておこうか」
 低い声が、広間全体に響き渡る。
「………………ベタだ………………」
 力なく、九十朗が呟いた。
 一方、次郎五郎は全く動じていない。この兄は、ある意味開き直りが早い。
「お前がラキか?」
「そうとも。地下牢の老いぼれと会ってきたのだろう? 勇者きどりの『王子様』」
「その名詞で呼ぶな」
 心底嫌そうに顔をしかめて、次郎五郎が呟く。
「とりあえず選択権は与えてやる。地下牢に捕らえている人たちを解放しろ」
 応じる可能性はまずなかったが、とりあえず言ってみる。もし万が一応じてきたら、自分でマザーコンピューターと対峙しなくてもすむのだ。
「そうはいかん。あれは、大事な収入源だからな」
 しかし、返ってきた言葉は少々理解不能だった。
「収入源……?」
「ああ。単にこの王国を俺のものにするだけなら、あの老いぼれどもを捕らえておけばいいだけだ。何故わざわざ他の冒険者たちまで拘束していると思う?」
 思わせぶりに、男はにやりと笑った。
「奴らはいずれ奴隷として売られていくのだよ」

 奴隷売買。
 無論、そのような行為を正式に認めている都市などどこにもない。しかし、だからといって、この世界に存在する全ての組織がそのような行為をやっていない訳ではない。
 眉を寄せて、次郎五郎が口を開いた。
「お前、莫迦だろう」
「ななななな何だとっ!!」
 簡潔に告げられて、ラキは激昂した。
「二十四日も彼らを放置している時点で、奴隷売買組織との繋ぎはできてなかったことぐらい判る。最初から訪問者を奴隷として売り飛ばすつもりだったのなら、都市を手中に収める前にルートぐらい確保しておくことだ。どうせ地下牢に入れた後のことを考えてなかったんだろう? この日数、あの人数を養うことにどれほどの支出を強いられた? はっきり言って、赤字だな」
「く……っ!」
 淡々と指摘されて、ラキが怯む。
「なるほど。本物の莫迦か」
 納得したように九十朗が呟く。
「いいことを教えてやるよ。何かを成しえたければ、ただひたすら、地道に日々の努力を積み重ねていくことが大事なんだとさ」
「黙れ! 貴様らなんぞに何が判る……!」
 怒鳴りながら、ラキは玉座の肘を殴りつけた。
 瞬時に、大広間に灯りが点る。
 兄弟が鋭く息を飲む。
 対峙する三人の間に、百を下らない数の近衛兵が微動だにせずに立っていた。
「私の精鋭部隊の前には、貴様らなど敵ではないのだ!」
 確かに、機械人形であれば気配は全く掴めなくても無理はない。
 何の命令があったのか、近衛兵が一斉に剣を抜く。空気を切り裂く音がして、まるで儀式のように煌めくそれが掲げられた。
 一糸乱れぬ敵が。
 一思乱れぬ、敵がそこにいた。

「退がれ、九十朗!」
「でも、次郎……!」
 事前に、こういう事態になったときの対処は話してきていた。しかし、思った以上に兵士の数が多かったせいか、九十朗が抗う。
「いいから行け! 音がする間は戻ってくるな!」
 半ば無理矢理に、弟を扉の外へ押し出す。数瞬の後に微かな足音が聞こえて、次郎五郎は視線を敵へ向けた。
「ふ……。美しき兄弟愛か?」
「違うね。これは単に勝率を上げるための作戦だよ」
 すらり、と長剣を引き抜く。
 大扉の周囲は僅かに壁がくぼんでおり、敵は数体程度しかかかってはこれない。その周りに何百体いようと、それは一緒だ。
 一瞬で、敵が間を詰める。
 ……早い。
 斬りかかってきた剣を軽く受ける。
 この一合一合が、弟がこの場から離れるための時間を稼ぐ。
 次郎五郎は、慎重にただ攻撃を受け流していた。
 同時に、意識を集中させる。
 闘いのリズムと、意思を同調させなくては、この作戦は効を奏しない。
 剣を交えた場所を支点に、身体を回転させる。他の兵士の突きをかわすと、その勢いのまま他の一体を蹴り飛ばす。
 少しずつ、身体が暖まるように、力が湧き上がるのを感じる。
「どうした。そのままなぶり殺しになりたいのか?」
 嘲るようなラキの声に小さく肩を竦める。
 そして、銀髪の少年は大きく剣を振りかぶった。
 胴への攻撃に対し、まるで備えていないその動きに、近衛兵は無表情のまま彼へ迫った。

 しかし、既に彼の『意思』は『行為』によって世界を変えていた。

 轟音と閃光が、謁見の間の空間を縦横に蹂躙する。
 ……まだだ。
 奥歯を噛みしめ、再度剣を振るう。剣の軌跡そのままに雷撃が兵士たちを薙ぎ倒した。
 更に続けざまに、落雷が無言のままの兵士を床に崩れさせる。
「莫迦な……!」
 青ざめて、王国の支配者は呟いた。
 この都市に入る前に、念を押された掟。
 『炎と雷の魔法は使用を禁じる』ということ。
 住民たちが機械人形であれば、それは腑に落ちることで。
 ならば、敵が大人数の場合、雷の魔法は決定的な手段となりうる。
 困ったことに九十朗は金属製の鎧を身につけていたため、この場にいると危険なのだが。
 ……しかし、確かに数が多い。
 魔法の扱いは、次郎五郎にとってまだ慣れていない。エリニアの時のように、一撃だけで精魂尽き果てはしないが、何度も景気よく放てる訳でもない。
 だがこの攻撃で、できるだけの数を減らさなければならない。
 例え、この掌が剣に焼きついてしまったとしても。

 そして何秒か何時間か何日か経った頃。
 次郎五郎の膝が崩れた。
 同時に、強烈に力が抜けていく感覚に襲われる。
「まあやるだけはやったんだしな」
 目眩を堪えようと、目を閉じる。
「……次郎っ!」
 扉が金属音を立てて押し開けられる。中の惨状を目の当たりにして、九十朗は愕然として立ち竦んだ。
 近衛兵の大半が床に倒れている。その身体の各所から放電しつつ、ぴくりとも動く気配はない。
 残り、二、三十体ほどが不自然な動きで、剣を手に立っている。
 そして、兄は倒れ伏した兵士の一体に上体を預け、床に座っていた。
「……後は頼む。流石にちょっと疲れた」
 こちらへ視線も向けず、大きく息をついて次郎五郎が告げる。
 勢いよく大剣を抜き放つと、九十朗は残党へ向かって地を蹴った。

 霞む目で、弟の動きを追う。
 確かに数は減ったし、残りの近衛兵の機能も低下している。
 しかし、それでも剣一本を頼りにあれだけの数の敵の中へ躍りこみ、確実に相手を倒していくというのは。
 自分には、できないことだ。
 苦笑しつつ、ゆっくりと強ばった身体をほぐす。
 弟が敵を殲滅する時間で、少なくとも動けるようになっておきたい。
 できないことを羨むだけの愚かさを、少なくとも彼は自覚していた。

「お疲れさん」
 最後の一体が甲高い音を立てて、床に倒れる。
 ふらりと近づいて肩を叩いた兄に、ほっとした視線を向ける。
「……ラキは?」
 周囲を見回して、次郎五郎が不審な声を上げた。
「俺が戻った時にはいなかったぜ」
 剣を収めながら、九十朗は告げた。嫌な予感に、眉を寄せる。
 とりあえず玉座へと近づく。背後のタペストリーを引き開けると、そこにはぽっかりと暗闇を湛えた空間が広がっていた。
 その奥に細い階段を認め、彼らは足を進めた。


 ほの明るい部屋の中で、男は目を血走らせ、何やら機械を操作していた。
「あのガキども、あのガキども、あのガキども!」
 ぶつぶつと続く呟きに、鈍い振動音がかぶる。
「殺してやる殺してやる、八つ裂きだ車裂きだ火炙りだ首を斬り落として晒し物にしてやる、生きながら腹を裂き臓物を獣に喰わせ眼球を抉り出し鳥に突かれるがいい!」
「いやこの街獣とかいないだろ」
 冷静な声が背後から聞こえ、顔を引きつらせてラキは素早く振り返った。
 そこにいたのは、二人の少年。
 先ほど、百名を超える近衛兵に殺せと命令した相手。
 それが、反対に近衛兵を殲滅し、多少の疲労は伺えるものの、ほぼ無傷で立っている。
「それ以上動くな!」
 喚き声に、少年たちは僅かに眉を寄せた。
「こ、ここをどこだと思っている! ルディブリアムの中枢、全機能を司るマザーコンピューター室だ! 俺が一言命令を下せば、この街の一切を塵にすることだって可能なんだ! 命が惜しければ、そこから一歩も動くんじゃないぞ!」
 その言葉に怯んだのか、彼らは命令通りに動こうとはしなかった。
 その代わりに、薄く唇を開く。
「『全ての空を翔る翼よ、知れ、この大地を征く偉大なる狼を』」
「…………なに……?」
 意図が読めず、困惑する。その男の傍らにある機械が、鈍く音を立てた。
「『生まれ、挫け、呪い、慟哭し、そして立て。立ち続けろ、この大地と空の狭間に』」
 壁面に並べられた幾つものモニタが点滅し、表示された文字が流れ出す。
「何をしている、貴様ら!」
 それには答えず、銀髪の少年はただ笑みを浮かべた。
「……『破滅の星を見上げ、そして知れ、我が愛しき翼よ』」
 次郎五郎が口を閉じる。ほんの一瞬の沈黙の後、第三者の声が響いた。
『最高権限認識しました。機能を一時的に停止します』
 感情の見られないそれは、機械の固まりから発せられている。
「何だと?」
 慌てて、ラキがコンピューターに向き直る。モニタからは次々に光が失われていった。
「よせ! 止めろ、動け! 動け動け動け!」
 必死に手を動かすが、その勢いは止まらない。
『それではまたお会いする日まで、偉大なる狼』
 やがてそう告げて、マザーコンピューターは完全に沈黙した。
 がくり、とラキが膝をつく。
 放心したように宙を見上げる青年に、ゆっくりと二人は近づいていった。




 柔らかな日差しが、街路を暖かく照らしている。
 二人の少年が、のんびりと人気のない道を歩いていた。
 突然、街角から走り出てきた人影と危うくぶつかりかける。
「うわ……っ」
「す、すいませんっ!」
 見覚えのある、金髪を二つに分けた少女が、慌てた風に頭を下げた。
「ネミ……」
「あ、お二方でしたか。……もう、ご出発ですか?」
 少女は大きな目で二人を見つめて、問う。
「ああ。そろそろ混雑も少なくなっただろうしね」

 あの王宮の闘いより、一日。
 少年たちに地下牢から開放されて、まっすぐにマザーコンピューターへ向かったカホたちは、昏倒し手際よく縛り上げられた裏切り者を発見していた。
 その道中で、大量に破壊された近衛兵たちにもの悲しい視線を向けていたりもしたが、面と向かって少年たちを責めるような者はいなかった。
 ラキは彼らの代わりに地下牢へ放りこまれている。今後の処遇については、この街のボスの意向を伺ってから決定するらしい。
 都市機能は一時停止。ネミ以外の住民たちはマザーコンピューターが停止した状態のまま、動かなくなっている。作業員たちは、ラキに大幅に変更された箇所の修正にかかりきりだ。
 とりあえず、朝になった時点で街の封鎖が解かれ、拘留されていた冒険者たちは次々に街を後にしていた。
「そうですか……。お父様を解放して頂いたお礼をまだしていないのに」
「お礼を言われることじゃないさ。どのみち、住人と話もできない、来訪者もいない状態じゃ俺たちの目的も達成できそうにないしな。街の復旧ができた頃にまた来るよ」
「はい、ぜひ!」
 嬉しそうに、少女が笑う。
「それでは、私、お父様にお弁当を届けに行って参りますので、失礼します。どうぞ道中お気をつけて」
 駆け出した少女を見送って、少年たちは再び歩き出した。
 二つの塔の、片割れに向けて。


「お父様?」
 マザーコンピューターの設置されている部屋の入り口で、ネミは声を上げた。
 水色の作業着を着た、大きな背中がひょいと振り向く。
「おお、ネミか」
「お弁当、お忘れになってました」
「ああ、そうか。すまんすまん」
 手を延ばす男を、少女は批判的に見た。
「お父様、お食事に触れる時ぐらい手袋を外してくださいな」
「いやすまん」
 照れたように笑って、男は油染みのついた軍手を外した。
「……しかし、復旧には思ったよりもかかりそうだな。どちらにせよ、ボスにご足労願わなくてはならないかもしれん」
「ボスですか?」
 きょとん、とネミが繰り返す。
「これは全て、わしの失態だからな。まあ仕方がない……」
 くん、と引っ張られる感覚に視線を落とす。泣き出しそうな顔で、ネミがカホの服を掴んでいた。
 苦笑して、カホが少女の頭を撫でる。
「心配は要らんよ。ボスは話の判るお方だ。多少の叱責は食らうだろうが……」
 そう安心させて、手を離す。
 その、油の染みついた掌には、翼のついた隕石を模した刺青が彫られていた。

 
2007/10/14 マキッシュ