Here We Go!!
マガティア

 城門から一歩足を踏み入れた瞬間、異様な雰囲気に怯む。
 そこは、一辺が二百メートルほどの広場だった。城門の真ん中からまっすぐ、広場を両断するように白い線が引かれている。そこここに露店が並び、その間に人々が群れているのは、別段おかしな光景ではない。
 だが、その人々が一様にこちらを注視しているとなると、話は別だ。
 マントの下で、静かに剣に手をかける。
 立ち寄った街で住人に追いかけ回されたのは、つい先日のことだ。
 できるだけ何でもないような顔で、足を進める。兄弟が右手の路地へ向かうと、その空気はあからさまに緩んだ。
 しかし、ちらりと肩越しに背後へ視線を向けると、こちらへの注意は決して減っていないことが判る。
「……なんか、最近変な街ばっかだな……」
「〈故郷〉から遠く離れてるからかね」
 努めて軽く返すと、そそくさと路地の奥へ姿を消す。
 視線が感じられなくなるまで、剣の柄からは手が離せなかった。


 いつものように、最初に探すのは宿屋か酒場だ。
 宿屋が酒場を兼ねている場合は多いし、寝泊まりする場所を確保するのは当然だ。しかも、そこは訪れる人間が多いだけ情報が集まりやすい。
 しかし、今回訪れた酒場の主は、普段とはちょっとちがった。
 愛想良く挨拶をするでもなく、無言で壁に掛けられたメニューに顎をしゃくるでもなく、兄弟の姿をじろじろと見るなり、こう言ったのだ。
「あんたら、ジェミニストかい? アルカドノかい?」

 きょとん、として少年たちが数度瞬く。
「ええと……」
「いいから、早く答えてくれよ。どっちなんだ? ジェミニストなのか?」
 苛々とカウンターの天板を指先で叩きながら問いつめる。
「俺たちは、今ここに来たばっかりで……」
「答える気がないんだったら出てっとくれ。時間の無駄だ」
 ぴしゃりと告げると、主人はグラスを取って磨きだす。
 そしてその後は、何も言おうとはしなかった。

 街の人々の反応は、程度の差こそあれ、同じようなものだった。
「このマガティアは錬金術師の協会が牛耳ってるんだよ」
 まだしも好意的な宿屋の主人が、そう教えてくれる。
「元々は一つしかなかったのが、今は二つになっていてね。片方がジェミニスト。もう片方がアルカドノって名前だ。もう何年も、何だか難しくてよく判らないことでぎゃんぎゃんやりあってるよ」
 大袈裟に溜め息をつく。真面目な顔で話を聞く兄弟の前には、よく冷えた水を満たしたグラスが置いてあった。
「大体街の北側がアルカドノの勢力で、こっち側、南側がジェミニスト。錬金術とは関係ない住人たちですら、境を越えての交流は白い目で見られる。だから、ジェミニスト側だって宣言するまでは、あんたらにものを売ったりできないんだよ」
 すまなそうな表情でそう説明する。
「とんでもない。水を頂けただけでも充分です。それに、お話もありがとうございました」
 丁寧に、次郎五郎が礼を言う。九十朗もぺこりと頭を下げた。
「まあ、協会に行って簡単な宣誓をすれば、バッジを貰えるから。それさえつけてれば、勢力圏内では普通に扱われるよ。もしジェミニストになるんだったら、いい部屋を空けてやるからここにおいで」
 気のいい宿の主人は、そう言って笑ってくれたのだが。


「難しいよなぁ……」
 一応念のために北側の宿屋も当たってみて、似たような対応しか受けなかった二人は、広場に戻ってぼんやりと周囲の光景を眺めていた。
 注意して見れば、人の流れは広場を二分する白い線をまたぐことは殆どない。
 ジェミニスト、或いはアルカドノの一員となる、というのは思っていたよりも簡単なことのようだった。
 別段、旅人や市民に高等な錬金術の知識を求めている訳ではない。
 ただ、協会に忠誠を尽くすということ。簡単に言うと、敵対する勢力と馴れ合わない、ということだけ守っていればいいらしい。
 しかし、養い親の情報を求めてマガティアに来た二人には、それは飲めない条件だった。
 片方の勢力からだけ情報を聞いておしまい、とはいかない。
 二人いるのだから、一人ずつ別れて行動するという手もあるのだが。
 先日立ち寄った街で、ばらばらになった上に痛い目に会ったこともあり、どうも気が進まない。
 と、さほど離れていない場所で、子供たちの高い声が響いた。
「何だよ、お前、もうジェミニストだろ!」
「そうだよ、こっち来ちゃいけないんだよ!」
 何事かと人混みを透かし見ると、数人の子供たちが押し問答をしている。
 白線の北側−−アルカドノ側に立つ子供たちが、その線を越えようとしている一人の子供を阻もうとしているらしい。
「関係ないよ! 通してよ!」
 金髪の小さな子供は一生懸命相手の間をくぐり抜けようとしているが、うまく行かない。
「……誰も止めないんだな」
 ぽつりと、九十朗が呟く。周囲の大人たちは、この小さな騒ぎに目を止めることすらない。
 溜め息を一つついて、次郎五郎が立ち上がった。すぐに弟もその後を追う。
「ほら、何やってるんだ。仲良くしろよ」
 すぐ傍に立ち、見下ろしてくる少年を、その腰ほどまでしかない子供たちは胡散臭そうに見上げた。
「何だ、あんた? 見ない顔だな」
「……いっぱしの口を叩くもんだな……」
 驚いたように呟く次郎五郎に、九十朗が小さく吹き出した。
「何だよ」
「いや、次郎だってこれぐらいの歳にはもういっぱしだっただろ」
「忘れろ」
 片手をひらりと振って、それを流す。
 その間に、子供たちは白線の内側で兄弟をぐるりと取り囲んでいた。
「あんたら、ジェミニストだな!」
「やーい、ばーか!」
「違う」
 囃し立てかけていた子供たちは、次郎五郎の返事にぴたりと動きを止めた。
「え……、じゃあアルカドノの人?」
 一転して、やや怯えたような顔になる。
 例えば権力者にあんな態度を取ったとしたら、ただでは済まないだろう。
「どっちでもないよ」
 少し安心させようと続けた言葉は、子供たちを混乱させた。
「どっちでもない?」
「って、なに?」
「知らない……」
 戸惑った顔で見つめ合う。その中には、先ほど追い返されそうになっていた子供も混じっていた。
「いやだからな……」
「なにやってルんデスか?」
 そこに静かな声をかけられて、一同は一斉にそちらを振り向いた。

 アルカドノ側から近づいてきたのは、明らかに人ではなかった。
 地鉄そのままの皮膚。接合面に沿って、リベットも打たれている。服は身につけているが、それは明らかに人間に対する配慮だろう。
「機械……人形……?」
 彼らには、服など無用のものなのだから。

「A!」
 金髪の子供が、たたっと機械人形に走り寄ると、飛びついていった。
「あ、こら、キニ!」
 子供たちがそれを追いかける。
「ほらほら、みんナ喧嘩するのではありまセン。キニは私の友達ですカラ、会いに来てもいいのデスよ」
 膨れっ面で見上げる子供たちに、機械人形は優しげな表情を向けた。
「さあ、もう夕方デス。そろそろおうちニ帰りなさい」
 はーい、といい返事をして、キニと呼ばれた子供以外は広場から走り出て行った。
 取り残された兄弟に、機械人形が視線を向ける。
「初めまシテ。キニを助けてくれて、ありがとうございまシタ。私は、ヒューマノイドAといいマス」

 広場の石段に腰を下ろし、膝の上にキニを乗せたヒューマノイドAと兄弟は話をしていた。
「旅の人ナラ、驚かれたでしょう。この街は、どうやらちょっト変わっているようでスから」
「まあ、ね」
 肩を竦めて、そう返す。
「しかし、子供たちの間であんなことはよくあるのか?」
「そうでもありまセン。子供たちは大体、親の言うことをヨクききます。無理に境を越えようとするのは、キニぐらいのモノです」
「キニだって、昔はアルカドノだったんですよ!」
 にこにこと、キニはそう告げる。子供の背中には、小さな羽根がその存在を静かに主張していた。
「あー……、でも、確か妖精は錬金術と仲がよくないって聞いたことがあるけど」
「え、そうなのか?」
 言葉を探しながら尋ねると、九十朗がきょとんとして訊き返した。
「エリニアの妖精が、それらしいこと言ってたんだよ」
 短く返す言葉に、キニが頷く。
「でもね、キニのお父さんは錬金術師だったから。だから、キニも大きくなったら錬金術師になるの! で、アルカドノに戻って、Aとずっと一緒にいるんだ!」
 無邪気な言葉に、戸惑う。察しよく、ヒューマノイドAが説明した。
「キニの父親は、元々アルカドノの人間だっタらしいのです。ですが、四年前に突然大きな事故を起こシテ失踪してしまったヨウで……。それ以来、キニとキニの母親はこちらにイルことができず、ジェミニストの方に身を寄せているとのコトです」
「伝聞なんだな」
 違和感を覚えて尋ねると、ヒューマノイドAは困ったような表情を作った。
「私は、ちょうどその頃以前ノ記憶がちょっと曖昧で……。全く覚えてイナイのです。どうしてここにいるのか、何をシテいたのか、全て」
 人間であれば一呼吸するほどの時間をおいて、ヒューマノイドAは話題を変えた。
「お二人は、どちらの協会に身を寄セルおつもりですか? アルカドノなら、ご案内できマスが」
「いや、実はまだ迷ってる。今日は、広場の隅ででも夜明かしするかと思ってるところだ」
 どうせ、野宿は慣れている。だが、ヒューマノイドAは意外と強い口調でそれを咎めた。
「ヤメておいた方がいいです。この街の様子では忘れテいるかもしれまセンが、ここは砂漠の真ん中です。夜の間の気温は、下手をスルと氷点下に近くナリますよ」
 その言葉に、絶句する。確かに、この数日の夜は宿屋にいてもかなり冷えこんでいた。
「あ、じゃあ、キニの家に来ませんか? うちは今、どちらでもない家ですから」
「え、でも、家族がいるんだろう? 邪魔はできないよ」
 慌てて、そう断る。しかし、キニは強情だった。
「お兄さんたちは、キニを助けてくれました! お礼をしないとお母さんに怒られます」
 ヒューマノイドAの膝から飛び降りると、キニは少年たちの手を取った。
 救けを求めるように隣の機械人形に視線を向けるが、彼はそれに気づかないようだった。
「ではキニ、気をツケて」
「うん、また明日ね! お兄さん、こっち!」
 大きく手を振り、小さな身体が駆け出す。
 白線のぎりぎりに立って、ヒューマノイドAはそれを見送っていた。


 キニの家は、街の南端に近い地区にあった。
 玄関のドアを開くと、小さなベルの音がする。
「お母さん、ただいま! あのね、お客さんだよ!」
 駆けこんでいったキニが何か話しているが、兄弟は玄関先で立っているだけだった。
 戸惑ったような顔の小柄な女性が、キニに手を引かれてやってくる。
「キニがお世話になったようで、ありがとうございます」
 軽く頭を下げる彼女の背には、妖精の証である羽根が見えた。
「ね、お母さん、泊めてあげていいでしょ?」
 楽しそうにキニが言うが、母親がそれに返事をする前に次郎五郎が口を挟む。
「いや、それは駄目だよ。俺たちは、君を送ってきただけだから」
 そして、母親を真っ直ぐに見つめて、続ける。
「では失礼します。お邪魔しました」
 ぺこりと頭を下げる兄に、九十朗は異議を唱えることもなく従う。
「ですが、そろそろ協会の受付は閉まっていますよ。今日、泊まるところはないのではないですか?」
「一晩ぐらい、どこかの軒下でも何とかなりますから」
 正直、気負いもなくそう言ったのだが、母親は困ったように眉を寄せた。
「大したおもてなしはできませんが、よろしければ泊まっていってください。キニがこんなに楽しそうなのは久しぶりですし」
「……でも、俺たちは今日この街に着いたばかりです。得体の知れない人間を泊めるなんて、やめておいた方がいい」
 次郎五郎の言葉に、母親はくすりと笑った。
「貴方。……〈エリニアの木霊〉をお持ちでしょう?」
 思わず、胸元に手をやる。薄い衣の下には、以前エリニアの妖精から貰ったアミュレットが下がっている。
「エリニアの妖精が幸運を祈る人が、悪人とは思えません。……人に何か言われたら、エリニアからの知人が来たのだと言いますわ。さあ、どうぞ」
 ついてくることを疑わないように、キニを促し、背を向けて家の中へ入っていく。
 兄弟は僅かに視線を交わして、それに続いた。

 食事は質素ではあるが、温かいものだった。
「元々ね、この街にあったのは、ジェミニストの協会だけだったの。それが、ずっと前に、アルカドノが独立したんだって!」
「十二年ほど前ですね」
 キニが、楽しそうにこの街についてのレクチャーをする。横から、母親のフィリアが補足をしてくれた。
「そりゃ随分前だなあ」
 まだ五歳程度と思われるキニにとっては産まれるずっと前の話だが、その頃は少年たちにしても物心つく前ぐらいの年齢だ。少し感心したように九十朗が相槌を打つと、フィリアがそれに気づいたのか小さく笑った。
「ええとね、この二つがどう違うかっていうと、ジェミニストは、錬金術の正統的な研究をしてるんだよね」
「正統的?」
 こくん、と頷く。
「不老不死の研究」
「私たちは妖精ですから寿命は人間に比べて長いですし、あまりピンとこないのですが……。この街の人々の、そういったことに対する情熱は強いですね」
 僅かに遠くを見るような目で、フィリアが呟く。
「で、アルカドノも不老不死を研究はしてるんだけど。こっちは、錬金術に機械の要素を入れようとしてるの」
「機械……っていうと、先刻会ってた機械人形みたいな?」
「Aです。ヒューマノイドA」
 ちょっとむっとしたように、キニが訂正してくる。
「ごめん、Aだな。キニの友達だもんな」
 九十朗が素直に謝ったからか、すぐにキニは笑顔を取り戻した。
「でも、Aがどうしてできたのかは、判りません。アルカドノの人たちは教えてくれないから。でも、Aは人間になりたがっています。不老不死なんて、望んでいません」
 おそらく、ヒューマノイドAはアルカドノの研究結果なのだろう。
 少年たちは、もっと人間に近い外見の機械人形を見たことがある。話し方も、ヒューマノイドAは少々ぎこちなかった。
 だが、その端々から伺える人間くささは、他の機械人形よりも強い。
 皮肉なものだな、とパンを一切れ口に運びながら次郎五郎は思った。
「だからね、キニはきっとものすごい錬金術師になって、Aを人間にしてあげるんです!」
 自信に満ちてそう宣言した小さな錬金術師は、気負いすぎたのか、そのまま咳きこんだ。
「ああ、ほら落ち着いて」
 心配そうに、フィリアがキニの背中を撫でる。しばらく苦しげだったが、目に涙を滲ませて顔を上げた。
「ごめんなさい……」
「何も悪くないだろ。大丈夫か?」
 こくりと頷くキニの前に、水を満たしたグラスが置かれる。
「今日はそろそろお薬を飲んでおやすみなさい」
「え……でも」
 ちらり、と少年たちを見上げる。
「お二人は明日の朝ご飯もご一緒してくれますよ。ね」
 揃って見つめてくる妖精たちに、小さく苦笑した。
「喜んで」
 ほら、と促す母親に、おとなしくキニは薬を飲んだ。
「ではお兄さんたち、おやすみなさい」
 ぺこりと頭を下げて、キニは居間から出て行った。
「……どこか、お悪いんですか?」
 小さな声で尋ねた言葉に、暗い表情でフィリアは頷いた。
「生まれつきです。あの子の父親は人間ですので……。妖精と比べても、人間と比べても身体が弱いようです」
 食後の紅茶を淹れながら、彼女は話題を変えた。
「お二人は、どうしてこの街へ? ビクトリア大陸からは随分遠いですけど、錬金術師にも見えませんね」
「義父を捜しているんです」
 その言葉に、少し驚いたようにこちらを見る。
「五年ほど前のことです。義父は、ある日突然姿を消してしまって。俺たちは、置いて行かれたことに納得できなかったから、彼を捜しに旅に出たんですよ」
 努めて軽く言うが、フィリアの顔は晴れなかった。
「……キニの父親も、失踪してしまったんです。四年前、キニが産まれて一年ほどの頃でした」
 かちゃり、とティーカップが人数分置かれる。
「夫は何かに取り憑かれたかのように、研究に明け暮れていました。あの夜、研究室が爆発して、それ以来あの人の姿はどこにも見えなくなりました。子供を残して失踪なんてするわけがない、何か事情があってのことだと思っていたのですけど……よくあること、なんでしょうか」
 力なくそう呟く。
「……申し訳ありませんが、俺たちの義父とキニの父親とを一概に一緒にできるものではないと思います」
 真面目な顔でそう返す。弱々しく、フィリアが笑みを浮かべた。
「この街は嫌いです。二つの協会は、夫の件においてだけは共謀するかのように何も知らせてくれません。……故郷のオルビスに帰ろうかと何度も思いました。あそこなら、キニの身体も良くなるかもしれない。でも、ひょっとしたら夫がふいに戻ってくるんじゃないかと思うと、ここから離れられませんでした。キニも、錬金術を学びたいと言いだしていますし、ヒューマノイドAとも離れたがらないものですから……」
「俺たちの義父は、もう決してここへは戻らないと言い置いていましたから。そうでなければ、俺たちもまだあの家で彼を待っていたかもしれない。貴女の行動は、少なくとも最良であったと思いますよ」
 小さく頷いて、フィリアは壁際に置かれた飾り棚を振り仰いだ。
 そこには、赤ん坊を抱いた一組の夫婦の肖像が飾られていた。



「お早うございます、お兄さん!」
 大きな声に、薄目を開ける。小さな子供が、楽しそうな顔で毛布に潜りこんでいた。
「……なんだ、ちびか……」
 呟くと、ぎゅう、と腕の中に抱えこむ。子供が、はしゃいだ声を上げた。その小さな身体が温かくて、またうとうとと眠りの波に誘われかける。
「……次郎、寝ぼけすぎ」
 苦笑を含んだ声が降ってきて、反射的に目を開けた。抱えている子供の金色の髪が鼻先をくすぐる。
「え?」
 混乱して視線を上げると、九十朗がにやにやと見下ろしてきていた。
「……ああ、キニか」
 えへへ、と楽しそうに笑うと、キニはするりと腕の中から抜け出した。
「もうすぐ朝ご飯ですから、早く来て下さいね!」
 そう言うと扉を開け、ぱたぱたと廊下を走っていく。
 親子二人の家では、客間もない。兄弟は、昨夜小さな応接間のソファで眠っていた。
 勿論、何も文句を言うことなどない。予備の毛布を用意して貰えたことも、ひたすらありがたいだけだ。
 伸びをして、大きく欠伸をする。既に身支度を終えている九十朗が、次郎五郎の衣を投げてよこした。
「なに? 昔の夢でも見てたのか?」
「そうでもないんだが。……昨日、ちょっと話したから思い出してたのかもな」
 衣を身につけた時に首筋に入りこんだ長めの銀髪をかき上げながら、立っている弟を見上げる。
「……どうかしたのか?」
「昔は可愛かったのにな……」
 溜め息をついて、腰を上げる。ほんの少し兄の身長を追い越しかけている九十朗が、僅かに複雑な表情を見せた。
「冗談だ。今でも可愛い」
「いや、それもやだ」
 即座に却下する弟に苦笑して、彼らは居間へと足を向けた。


 とりあえず、旅人がどちらの協会に属していてもさほど重要視されない、とフィリアに言われたこともあり、彼らは今日はまず手近なジェミニストのバッジを受け取った。
 これで街の南側を一通り尋ね歩いた後、バッジを外し、アルカドノに宣誓しにいくことになる。
 宿泊は引き続きフィリアが承諾してくれたからできることだ。これが、どちらかの勢力圏で宿を取っていたら明らかに不審に思われたことだろう。
 勿論、それに関する必要な代金は払うと兄弟は主張し、フィリアは静かに笑いながらそれを受け入れていた。

 夕方近くまでかかって、どうやら街の南側は大方回ったようだった。
 広場の片隅で、協会から貰った街の地図を眺めながら、次郎が眉を寄せている。
 あからさまに北側の描写が少ないそれは、明日には使えそうもない。
「……兄貴」
 声をかけられて、視線を向けた。
 九十朗が、意を決したような顔で隣に立っていた。
 弟のこういった様子は、時々経験している。
 しかし今は全く原因に心当たりがなくて、次郎五郎は内心首を傾げた。
「どうした?」
「何のつもりだったんだ? 今日の、聞きこみだけど」
「……何か問題があったか?」
 それとなく訊き返すが、九十朗が何を気にしているのかは大体察することができた。
 彼は、今日、街を尋ね歩く間、いつもの質問以外にもう一つ追加していたのだ。
 つまり、この街が二分されていることについて、どう思うのかと。
 強硬にアルカドノにライバル意識を持っているのはさほどおらず、研究者やその関係者程度だった。
 一般市民は、黙認や諦めという感情が強かった。
 どうしても我慢できない人間は街を出て行っている、という話も聞いた。
 しかし、それだけなら余計なことではあるが弟が問題視することでもないはずだ。
「キニと、ヒューマノイドAのことだろ。兄貴が気にしてるのは」
「……そうだな」
 小さな声で認める。
「あの二人は友達なのに、街の制度がそれを邪魔している。兄貴は、そう思ってるんだろ。だけど、二人は絶対に会えないって訳じゃない。そもそも、この制度ができてもう十二年だ。キニは妖精だし、ヒューマノイドAは機械人形だ。この先何年もこの制度が持続するかどうか判らないし、あの二人の寿命を考えたら、充分何とかできる時間がある。……兄貴と、王子とのこととは、決定的に違……」
「九十朗!」
 遮った声は、掠れてはいなかっただろうか。
 視線を背けた兄に、しかし九十朗は怯まなかった。
「感傷で、余計な事態を背負いこもうとしないでくれ。俺と兄貴の、二人の目的は決まってるはずだ」
「……ああ。判ってる」
 大きく呼吸をすると、背を向ける。
「先に帰っててくれ。……頭を冷やしてくる」
「兄貴、俺は」
「判ってる、お前が正しい。明日はちゃんとするよ。キニの家にも遅くならずに戻るから」
 それでも立ち去らない弟に、自嘲気味に振り返る。
「頼む。……少し、一人でいたいんだ」
 僅かにむっとした表情を見せると、九十朗は無言で踵を返した。その後ろ姿を見送ることもなく、ふらりと次郎五郎は足を進める。
 数分間歩いたところで、とん、と肩に触れられた。
「バッジを外さないでこちらに入ってはイケマセンよ。次郎五郎さン」
 視線を上げると、穏やかな笑みを作るヒューマノイドAがそこにいた。
 見回すと、白線から数歩、広場の北側に入ってしまっている。
「ああ……悪い。ぼんやりしていた」
 マントにつけていたバッジを外し、手に握る。
 ここではこんなもの一つで、人生が制限されるのだ。
「九十朗さンはいいんですか?」
「ちょっとした兄弟喧嘩だよ」
「そのようデスね」
「……聞いてたのか?」
 僅かに険を含んだ視線で睨め上げる。が、悪びれた様子もなくヒューマノイドAは続けた。
「その気にナレば、私はジェミニスト協会の天井裏にイる蜘蛛が巣を作る音でも聞こエルんですよ」
 その言い方に、小さく声を上げて笑う。半ば無理矢理だったが、少し気が晴れた。
「機械人形だもんな。ちょっと、時間はいいか?」
「いつデモ」
 頷いて、周囲を見回す。夕暮れの広場は人々で溢れていて、そうそう腰を下ろせる場所もない。中央に立つガス灯まで行くと、そこにもたれかかった。
 足下の白い線は、石畳を一列に剥がし、白く塗った木材を嵌めこんで作ってあった。手間をかけるものだ、と皮肉げに考える。
「あんた、キニと友達なんだよな」
「キニはそう思ってテくれるようですね」
「……あんたは、そう思ってないのか?」
 ヒューマノイドAは笑顔を崩さない。
「私はヒューマノイドです。私の所有権はアルカドノ協会にアリます。だから、コノ白線から先にはどうしても行けない」
「所有権……?」
 眉を寄せて繰り返す。
「嫌な方向ニ考えないで下さい。私はアルカドノの圏内では自由行動を許さレテいます。何かを強制サレている訳でもない。奴隷とは違いマス。……それに、ジェミニストの勢力圏内に入ったが最後、破壊サレても無理はないのですから」
「……そんな状況なのか?」
「どうでショウ。そこまで彼らがなりふり構わナイとも思いませんけど」
 そこで彼は小首を傾げた。
「私のことバカリですね。九十朗さンとのことを話したいのかと思ってマシた」
「ああ……九十朗な」
 溜め息をついて、夕暮れの空を見上げる。
「あいつも痛いところを衝くようになったよなぁ……。反抗期ってこういうもんなのかね」
「私にハ弟はいませんでしたからヨク判りませんが、反抗期とはチョっと違うのではないですか?」
「そうなのか?」
「あんなものデハ済まないですよ」
「……もっと酷いのか……?」
「酷いデスね」
 即答したヒューマノイドAに頭を抱えそうになったが、ふと思い留まる。
「あんた、弟以外の兄弟がいたのか?」
 ヒューマノイドAから表情が消える。
「……え?」
「先刻の言葉は、どうしたって実体験だろう。しかも、自分以外の反抗期を経験してる。記憶が曖昧だって言ってたが、その辺は覚えてるのか?」
「いえ……私は」
 人間ならば、どういう表情を作るのだろう。戸惑うのか、苛立つのか、悲しむのか。
「覚えて……いまセン。ですが、ぼんやりとソノように考えたのです。実体験ナノでしょうか……。私は、四年前からずっト一人だというのに」
 考えこむかのような沈黙がしばらく続いたあと。
 ヒューマノイドAが素早く右手を振り向いた。
「九十朗さンが……!」
「九十朗!?」
 次郎五郎が、一瞬で身体を起こす。
「城門の近くデス。このまま真っ直ぐ……」
 その言葉を知覚した瞬間に、地を蹴る。人混みをかき分けていくと、すぐに弟は見つかった。
 白線を踏み越えた辺りで、一人の男にマントの胸元を掴み上げられている。
 男のマントの背中にアルカドノの紋章を認めたところで、足を止める。
「その手を離せ」
 低い声に、二人が視線を巡らせる。男は更に眉間に皺を寄せた。
「何だ、お前は?」
「なに……来てんだよ、あんたには関係ないだろ!」
 九十朗が、吐き捨てるように言う。
 彼が、先ほどの諍いを引きずっていない訳ではないだろう。
 だが、彼らの目的がまだ終わっていない以上、この街での揉め事は最低限にしておきたい。そのために、せめて片方は無関係を装いたいのだ。
 その思いは判る。だが。
「それは俺の弟だ。手を離せ」
「……莫迦、次郎……」
 呆れたような顔で、九十朗が呟いた。
「……ふん。このガキは、ジェミニストのバッジをつけたままでアルカドノの地に入りこんだんだ。スパイとして処分されても文句は言えないんだぞ」
 その滅茶苦茶な論法に呆れて、一瞬言葉が継げなかった時。
「ラセルロンさン!?」
 後ろから追ってきたヒューマノイドAが、男の名を呼んだ。
「何だ、お前まで何の用だ?」
「その人を離しテあげてください。お二人はただの旅人で、別にアルカドノに害をなそうトしている訳デハ……」
「お前のような出来損ないの機械人形ごときが、協会に口を出すな」
 言い捨てた言葉に、すっと頭の血が引いた。
「ああ、そうか」
 これ見よがしに呟くと、くるりと向きを変える。その場の人々が見守る中、五メートルばかり後退した。
 そして男に向き直ると、すらりと長剣を抜き放つ。
「……やめろ、次郎!」
 何が起こるかを明確に察知した九十朗が制止するが、次郎五郎はそれを聞き流した。
 武器を抜いたとはいえ、距離が空いているからか、ラセルロンと呼ばれた男はにやにやと笑っているだけだ。
 剣を逆手に持ち変えると、切っ先を地面に突き立てる。
 厳密には、地面に嵌めこまれた、白い板に。
 一瞬で少年の足下から立ち上った火柱は、一直線にラセルロンへ向かって迸った。
 熱気が男の前髪を焦がすほどの距離まで迫り、そこで燃え尽きる。
 焦げ臭い空気が周囲に満ちて、今まで全く関心を持っていなかった人間までもが彼らを注視していた。
 固まったまま、呆然と立ち尽くす男に、炭と化した板をまたいで立つ少年は嘲るような視線を向ける。
「どうした? お前の大事な境界線が消えた訳だが。何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「次郎五郎さン、やりすぎデス……」
「次郎は時々ああいうことをするんだよな……」
 二人の関係者が小さく感想を述べた辺りで、ようやく我に返った錬金術師は大声で衛兵を呼び立てた。


 二人の兄弟は、そのままアルカドノの協会へ連れていかれた。
 会議室らしき大部屋へ押しこまれて、しばらく待たされる。
 むっつりと椅子に座っている弟は、視線すら向けようとはしなかった。
 十分ほど経って、ラセルロンの他に男が二人入ってきた。
 豊かな白い髭を蓄えた、錬金術師というよりは魔法使いといった方がいいような男がジェミニストの協会長、カソン。
 もう一人の、でっぷりと太った身体を自動走行する椅子に預けている男がアルカドノ協会長のマッドだった。
 マッドのつるりと禿げた頭は、左目から頭頂部までが片手の幅程度の金属の板で覆われている。レンズのようなものを嵌めこまれた眼窩が、じろりと兄弟を睨んだ。
 あの椅子も、おそらくただの研究結果ではない。毛布に覆われた下半身が少なくとも自力での移動に耐えられないのだろう。
 あれが、アルカドノの生命錬金の成果。
 ラセルロンは、扉を開ける前から兄弟がスパイであり卑劣な手段で情報を得ようとしていたと訴えていたようだ。それは彼らが席につくまでも途切れることなくまくしたてられていた。
 だが、どうやら二人の協会長はそれに同調はしないらしい。
「ジェミニストのスパイであれば、わざわざバッジをつけたまま街の北側に踏みこむような間抜けな真似はしないだろう」
「ああ」
 その点について、二人があまりにもあっさりと合意したせいか、ラセルロンが口を噤む。
「しかしその後の、境界線を破壊した件については、一体どういう意図だったのか、はっきりと聞かせて頂きたいものだ」
 鋭い視線が、少年たちを射抜く。
 その行為が重大であったが故に、この短時間で敵対する協会の長がわざわざやってくる事態になったのだ。
 単にラセルロンの態度にむかついただけだと言っても、納得はしてもらえないだろう。
 次郎五郎が立ち上がり、小さく頭を下げる。
「お手数をおかけして、申し訳ない。簡潔に済ませるようにします。……俺たちは、ほんの昨日マガティアに到着した冒険者です。それが、ジェミニストのスパイという濡れ衣を着せられて、暴力を振るわれそうになった。そこで、反撃したまでです。冒険者というのが、口よりも手が出る方が早い人種だということを知っておかれるべきでしたね」
 薄く、笑みすら浮かべながらそう告げる。ラセルロンが、屈辱に顔色を赤くした。
「ならば、この男の腹に剣を突き立てるべきだった。何故、この街の掟とも言うべき境界を破壊したのだ?」
 全く何の感情も交えず、マッドが尋ねる。その内容と口調にショックを受けたのか、今度はラセルロンは真っ青になった。
「掟とおっしゃいましたが、それに一体何の意味があるのですか? 街の人々に酷い不便を強い、何も知らない旅人に危害を加える。堪えられなくなった若者たちが、他の街へ移住していっているそうではないですか。しかも対立の構図は、何も判らない小さな子供たちにまで及んでいる。……子供は、若い人材は、何ものにも代えられない、宝石の原石のようなものです。それを損なってまで、この街は何を望むのですか?」
「意義はある。旅人ではそこを知るまい。十二年前まで、この街に境界はなかった。その頃のマガティアがどれほど荒廃し、殺伐としていたことか。錬金術師が錬金術の研究をしている場合ではなかった。今の対立など可愛いものだ」
 マッドが、無意識にか片手で膝をさすりながら答える。
「今は十二年前とは違います。この状態が更に続けば、この街の未来はないも同然だ」
 とん、とカソンが指先でテーブルを弾いた。
「昨日来たばかりの冒険者にしては、よく状況を調べているではないか?」
 静かな声が、全員の視線を改めて次郎五郎へ集めた。
 その圧力に、背中が引きつる。
「しかも、出てくる言葉は我々の和解を望むものだ。一体何が本当の目的なのだ?」
 誤った。
 この街のトップ二人に、直接話ができる。ここで、キニとその友達のために、ヒューマノイドAだけではない、年相応の他の友達のためにも何かができるかもしれない、と、その想いだけで話しすぎた。
 せめて追求はのらくらとかわして、早々に街を出た方がいい手だっただろう。
 だが、もうその手は使えない。
 九十朗は、無言で、ただ次郎五郎の傍にいる。
 普段なら、それは信頼だと思っただろう。
 しかし今は、それが自分を試しているように思える。
 この場を切り抜け、弟からの想いを裏切らないだけの行動をとれるか、どうか。
 ふ、と軽く息をつく。
 僅かに苦笑して、次郎五郎は片手を上げた。
「流石、協会長ともあろう方々はごまかせませんか。……ある意味で、スパイだと言っていいかもしれない。俺たちは、[凶津星の翼]の一員です」
 協会長二人が、息を飲む。
「次郎……!」
 血相を変えて立ち上がりかけた九十朗を、視線で制する。
「[凶津星の翼]……」
 小さく呟かれた言葉に、頷いてみせる。
「お聞き及びのようですね」
「噂ばかりだ。まさか、実在したとは……」
 話が掴めないのだろう、ラセルロンがきょろきょろと協会長と次郎五郎を交互に眺めている。
「場合によっては、身分を明かすこともやむなし、という任務で参りました。このことは他言無用に願います」
 脂汗を滲ませる二人の協会長が視線を交わし合う。
「我が[六枚羽根]は、この街の事態を憂いております。先に申し上げました通り、このまま意味もなく街の発展が阻害されれば、待っているのは衰退だけです。そして、それは我が組織にとって望ましくない」
「なぜ……」
「それはご存じない方がよろしいかと。ともかく、我らが望むものは、何も今日これから境界を全て撤去して手を取り合って仲良くしろと強制するものではありません。旅人や一般の住人たちという二つの協会と殆ど関わりない人々、彼らにまで対立を強制せずにいて頂きたい、それだけです」
「しかし……」
「それにその方が、多種多様の交流で一層街は繁栄することでしょう」
 薄い笑みを絶やさずに、そう告げる。
 マッドが、額の汗を拭う。
「お前……、いや、君が、その[凶津星の翼]の一員であるという証拠はあるのか?」
 はっとしたように、カソンが顔を上げる。
「そうだ。証拠もなければ、そんな要求、飲めるわけがない。我々を体よく騙そうと思っているんじゃないのか?」
 次郎五郎が、左手を挙げた。肘の半ばぐらいまでの長さがある革の手袋に、右手をかける。
「……[凶津星の翼]の幹部は、左の掌に印を入れています。翼ある隕石の紋章の。翼の数が多いほど、地位も高い」
 するり、と脱ぎ捨てて、左掌を晒け出す。
 その掌には、傷一つ見あたらなかった。
「……やはり、嘘をついたのか……!」
「おや。まさか、俺みたいな子供があんな組織の中で高い地位を持っていると思っているんですか? 情報収集とちょっとした交渉ができる程度の権限しか持たされていませんよ。そもそも、嘘をつくのなら尤もらしい証拠をでっち上げればいいだけです。しかし、先ほどそちらがおっしゃったように、わざわざ違う勢力のバッジをつけたまま乗りこんできたりはしません」
「証拠がないことが証拠、だと? 舐められたものだな」
 笑みを消して、銀髪の少年はテーブルに置いていた手袋を拾い上げた。
「俺は、至極真面目です。正式な交渉役は、また後日やってくるでしょう。俺を信じるも信じないも貴方がたの自由ですが、信じておいた方がいいとご忠告申し上げますよ。我が[六枚羽根]は、時折酷く残虐さを発揮するものですから」
 ごくり、と喉を鳴らす音が響く。
 協会長たちは探るように視線を交わし、互いに似たような疑心と不安を読みとったらしい。
「……考えさせて貰う」
 結果としてその言葉を得られたのは、思った以上の収穫だろう。



 少年たちが協会を出たのは、もうとっぷりと陽が暮れた頃だった。
 街のそこここから、機械の稼働音が響く。
「……次郎。話がある」
 ずっと口を開かなかった九十朗が、固い口調でそう告げた。頷くと、二人は協会の裏へと足を進める。
 協会の巨大な建物の影に隠れるように、一軒の廃屋があった。窓ガラスは割れ、ドアは蝶番の一つだけでぶら下がっているような有様だ。
 兄弟がそこへ足を踏み入れる。部屋の中にも、木材やガラス、石などの破片が散乱していた。
「一体何を考えてたんだ、次郎!?」
 堰を切ったような勢いで、九十朗が問いつめた。
「まあ、色々と」
「色々!? 色々考えて、あの有様か? そもそも、最初にあの莫迦に絡まれたところで、もう少し穏便に済ます気はなかったわけ? あんな奴、しばらくねちねちと絡んだ後で捨て台詞の一つ二つ言っていなくなる程度の男だって、次郎にだって判ってただろ?」
「ああ」
「そんなもの、ちょっと時間が取られるだけで、大した被害じゃないだろうが!」
「ああ」
「そのあとで、暗くなったところで背後からさっくりやっちまえばよかっただけだって!」
「いやそれは駄目だろ」
 真面目に返すと、もの凄い眼で睨みつけられた。とりあえず、黙って両手を上げる。
「先刻のこともだよ! 何だって、[凶津星の翼]の名前まで出さなきゃいけなかったんだ? しかも、かなり詳しい話までしてただろ! 一体どれだけ危ない橋を渡ってたか、兄貴判ってるのか?」
「判ってる、判ってるよ。即興で考えた手としては、あれが精一杯だったんだ。とりあえず、この場を凌いで逃げ出す隙ができる程度、信じて貰えればよかった。……まあ、あの人の耳には絶対に入らないように祈るしかないけど」
 その答えに更に激昂しそうになったが、気持ちが突き抜けすぎたのか、九十朗は蹲ると長々と溜め息をついた。俯いたままで口を開く。
「……俺さ。兄貴は、すごい頭がいいと思ってたんだ」
「それは、どうも」
「いつだって俺よりも頭が回って、どんなピンチだって兄貴に任せてたら何も心配いらない、そう考えてたんだ。……けど、今日の兄貴見てたら、そうは思えなくなった。俺でさえ判るような、まずい方へどんどん進んでく。……兄貴」
 ゆっくりと、顔を上げる。
「俺たち、大丈夫なのか? こんな調子で、あの人を捜し出す前に、どうかなったりしないのか?」
 その、捨てられて雨に打たれた子犬のような目に、次郎五郎が表情を和らげる。目の前にしゃがむと、弟に視線を合わせた。
「大丈夫だ。決まってる」
「何で?」
 保証が欲しいと。せめて一つ、拠って立つ場所が欲しいと、目がそう訴える。
「俺たちは家族だろ。例えごろつきに絡まれてた程度でも、俺はお前を放っておかない。街の一つ二つ瓦礫に変えたって、俺はお前と二人でその上に立つさ」
 九十朗の顔が、表情の選択に困ったように歪んだ。結局、泣き笑いのような顔で呟く。
「やっぱ、莫迦だ。莫迦だよ、次郎……」
「言ってろよ」
 笑って、弟の黒い髪を乱暴にかき回す。その動きに押されたように、九十朗が再び俯いた。
 数分ほどそのまま過ごして、次郎五郎が背後へ視線を向ける。
「入ってきたらどうなんだ?」
 驚いたように顔を上げた九十朗は、戸口を塞ぐように立つ人影を見つめた。

 街灯を背にするその人物は、鈍い銀色の光を反射していた。
「ヒューマノイドA……」
 色々と、聞かれてはまずいことがあった。焦って九十朗が立ち上がる。ゆっくりと、次郎五郎もそれに続いた。
「あんたのことだ。どうせ、協会の中での話し合いからずっと話は聞こえてたんだろう?」
「はイ」
 あっさりと頷く相手に、九十朗が息を飲んだ。兄がまっすぐ相手に視線を向ける。
「俺たちは、ルディブリアムで百体の戦闘用機械人形を壊滅させたことがある。あんたがいくら最先端の機械人形でも、破壊するのに手間取ることはない」
 驚きを隠せずに、九十朗は次郎五郎の横顔を見つめた。
 今日一日、彼の為にかなりの時間を費やし、街の権力者に対して綱渡りを演じた兄が、こうも簡単に相手を脅している。
 兄の中では、優先順位が決まっているのだ。
 兄弟の、家族の安全が第一なのだと。
 すっと九十朗の手が剣の柄へ伸びる。
 だが、ヒューマノイドAは首を左右に振った。
「ご心配はいりマセン。私は、この街に必要以上の忠誠を誓ってイルわけではない。余計ナことは喋りませんよ」
 それだけで、次郎五郎の警戒心は消えたようだった。軽く九十朗の手に触れて、武器から離させる。
「なら、いいさ。……しかし、俺たちが心配でここに来たわけでもないんだろう?」
「心配は、心配でシタよ。ラセルロンは、研究のためナラ人体実験も躊躇わない。貴方たちを有罪とシテ、その身体を自由に使おうとしてイタかもしれません」
 九十朗が、一歩引く。流石に、そこまでの状況だとは思っていなかった。次郎五郎は、不機嫌な顔でがしがしと頭をかいている。
「……お言葉通り斬っときゃよかったかな……」
「次郎次郎」
 何となくそうしなくてはいけない気がして、宥める。
「ソレと、ここへ来たのは、私のねぐらだからデスよ」
「ねぐら?」
 機械人形なのに、と聞きたげな兄弟に、頷く。
「この街の夜は、気温が下ガリます。屋外にいて、回路に霜がついても困りますカラ」
「……ここは、キニの父親の研究所だろう?」
 次郎五郎が腰を屈め、床から何かを取り上げる。キニの家で見た肖像画の写しが、そこで埃をかぶっていた。
「はイ」
「なんで、ここに来る? 協会の所有物なら、協会の中に入ることだって拒否されないだろう。こんな廃屋で、どうしてわざわざ夜を明かすんだ?」
「廃材が転がってイテも、私は怪我をシません。埃があっても支障はナイ。どこにいようと一緒デスから」
 僅かに、次郎五郎が溜め息をついた。
「俺が、何も判ってないと思わないでくれ。……あんたは、キニの友達じゃない」
 兄の言葉に、九十朗は思わずその顔を見つめる。
「あんたの記憶は、キニの父親だ。……違うか?」

「……いつカラ、そんなことを?」
 一歩、ヒューマノイドAがこちらへ近づいた。その足にぶつかった鉄製のパイプが、ごとん、と音を立てる。
「この肖像画。あんたと、父親の顔立ちがそっくりだ。皮膚を貼って少々手を加えれば、瓜二つになるだろう」
 手が、顔を撫でた。金属質の音が響く。
「目聡いデスね。……まだ、下地の加工すら途中だったノニ」
 更に一歩、近づく。無言で手を延ばすヒューマノイドAに、次郎五郎は肖像画を渡した。
「……記憶が曖昧ダトいうのは、本当デス。覚えてイナイことが多すぎる……」
 ヒューマノイドAの視線は、じっと肖像画に注がれている。
「フィリアは妖精デス。産まレテきた子供も、妖精の血が濃かった。彼らの寿命を知ってイますか? 二、三百年は軽く生キる。……私は、彼らを置イテいきたくはなかった……!」
 声に、絞り出すような感情が滲む。機械の身体ですら、その慟哭を阻むことはできない。
「それでも、断念シタのです。どうしても、望むヨウな研究結果を得ることは難しい。……ならばせめて、短い生を彼らと共ニ過ごそう。そう、決意シタのです」
 ゆっくりと、周囲を見渡す。激しい破壊の痕跡は、四年経った今でも生々しい。
「あの夜の事故で、不完全な身体に不完全な記憶が移植サレました。事故さえ起こらなケレば、私は今でも人間だったデショウ。ずっと原因を探していますガ、何が起こったノカまだ判りません。……判ったトコロで、何にもなりまセンが。私ハこんな身体で、愛する家族と共に生きるコトもできない……」
「……制度は、少しは改善されるはずだ。聞いていたんだろう? あとは、街の人間たちの反応次第で、その動きが加速されるかどうかが決まる」
 ヒューマノイドAの表情が、小さな笑みに変わった。
「ええ。ありガトウございます。次郎五郎さン。希望が、少しは増エました。貴方たちの秘密と心からの感謝に、私の秘密ハ釣り合いましたか?」
 次郎五郎が、露骨に眉を寄せる。
「そういう意味だったら、釣り合うわけがないだろう。もう一つ、あんたに要求するぞ」
 彼が、更に鞭打つようなことを言うのは珍しい。その場の二人は、きょとんとして少年を見つめた。
「あんたが機械人形だと思って色々と話してた、俺の純真な心を返してくれ」
 九十朗が吹き出した。ヒューマノイドAも笑みを大きくする。
 少しばかり満足して、次郎五郎にも笑みが浮かびかけた、その時。

 風切音に気がついたのは、殆ど奇跡に近かった。
「九十朗!」
 怒鳴って、弟の身体を突き飛ばす。はずみでよろめいた次郎五郎の額を、飛来した何かが抉った。
「次郎五郎さン!」
 床に転がった九十朗が、ヒューマノイドAの声に視線を上げた。
「次郎!」
 九十朗が悲鳴を上げる。
「大丈夫だよ」
 片手を上げて制しながらそう告げる。実際、傷口は熱く、流れ出た血が左目に入ってこようとしているが、掠っただけだ。それよりも、と彼は鋭い視線で周囲を一瞥した。
 この廃屋の状態では、窓も戸口も全て開放されているようなものだ。九十朗の身体は、今は壁に遮られて外からは見えない位置にいる。ヒューマノイドAが、次郎五郎を庇うように間に立っていた。
「……[旧システム]の名前を聞いたから来てみたけど、大したものじゃないね」
 莫迦にしたような声がやや上方から降ってきて、視線を上げる。
 ぬるりとした血が目に沁みて、数度瞬いた。
 霞む視界に、通りの向こう側、屋根の上に立つ人影がぼんやりと映る。
 ふいに酷い眩暈がして、ぐらりと身体が揺れた。背後の壁にどん、と背中が当たり、そのままずるずると崩れ落ちる。
「次郎!?」
 弟の声が遠くに聞こえて、銀髪の少年は弱々しく頭を振る。
 そして次の瞬間、次郎五郎の意識はふっつりと途切れた。

「次郎っ!」
「駄目です、九十朗さン!」
 死角から飛び出してこようとする九十朗を、ヒューマノイドAが大声で止めた。
「次郎五郎さンは、これ以上は傷つけられまセン。私が、この身体で盾にナリます。だから、隠れてイテください」
 痛いほど歯を噛みしめて、自制する。
 だが、ヒューマノイドAの考え方はやはり冒険者のものではない。
 ここにじっとしていて、相手が飽きるのを待つなど、対応としては最悪だ。
 外壁の割れた部分に、腹這いになったまま近づく。目を押し当てて、敵の姿を探した。
 通りを挟んだ建物の屋根に、小柄な人影が見える。
 マントと帽子を身につけているせいか、体型は判然としない。聞こえてきた声はやや高い。が、それも女性のものか子供のものかと断定はできなかった。
「片割れはどうしたんだい? 連れをやられて、怖くて隠れ場所から出てこれないのか? [旧システム]の関係者は役立たずの上にチキンだってことだね」
 思わず、剣に手をかける。
「九十朗さン……」
「判ってる!」
 吐き捨てるように、低く叫ぶ。
 あの距離から攻撃してきたということは、魔法か飛び道具だ。ならば、出入り口を見張られていて、しかも剣による物理的な攻撃しかできない九十朗に打つ手はない。
 しかし。
「次郎が……」
 このままでは、兄が危ないかもしれない。
 それに関しては、生命錬金を専門知識として持つヒューマノイドAも判っているのだろう。真っ直ぐに、得体の知れない敵へ視線を向けた。
「これ以上、私の研究所で血は流させまセン。私をただのヒューマノイドだと侮らナイ方がいい」
 ふ、と敵の気配から、敵意が消えた。
「お前……」
 小さく呟いた言葉が、夜の風に散る。
「……仕方ないね。昔馴染みに免じて今日は許してあげるよ。次に会った時には、続きをやろうじゃないか」
 そう告げると、敵の姿はかき消えた。建物の向こう側に飛び降りたのだろう。
 その瞬間、床の上に散乱するガラスや木っ端など気にもせず、九十朗が兄に近づいた。
 ほぼ同時に横たわる彼の様子を見ていたヒューマノイドAがそれを遮る。
「触ラないでください。……何だか、様子が変です」
 そっと、腕を少年の身体の下へ差しこむ。
「アルカドノ協会へ運ビましょう。次郎五郎さンに、絶対触らナイで下さい」
 泣き出しそうな九十朗を促すと、彼らはできるだけの速さで街路を進んだ。


 九十朗は、アルカドノ協会の小さな部屋に座っていた。
 傍にヒューマノイドAがいるが、それに気を留めている様でもない。
 次郎五郎は、速やかに処置室へ運ばれている。
 俯き、手を痛いほど握りしめて、九十朗はただひたすら待った。
 その肩に、そっと薄手の毛布がかけられる。
「フィリア……さン」
 顔を上げると、妖精の親子が気遣わしげに立っていた。
「連絡を頂いたので、特別に入ってこられました。……しっかりしてください、九十朗さん」
「大丈夫ですよ、お兄さん。アルカドノの生命錬金は世界一です」
 キニがそう請け合うが、形ばかり小さく頷いただけで、九十朗は再びもとの姿勢に戻る。
 ……だが、ヒューマノイドAの聴覚は、扉を幾枚も隔てた先の、錬金術師たちの会話も耳に入っていた。
−−毒には違いがないと思います。だが、こんな毒は症例がない。
−−このような経路で感染するようでは、誰も施術はやりたがらないでしょう。
「……次郎……」
 小さな呟きは、少年の口から漏れてさえいない。
「次郎……救けて、救けてください……、お願いだから……っ」
 握られた手が、小さく震えている。
「…………、……さま……っ」
 吐息すら飲みこんだその声に、ヒューマノイドAは立ち上がった。訝しげに、フィリアがそれを見上げる。
「九十朗さンについてイテあげてください。お願いします」
「ええ」
 ヒューマノイドAが扉に向かう。その背中に何かを思い出しかけて、彼女は小さく首を傾げた。

 突然入ってきた人物に、その場の一同が言葉を失う。
「……何の用だ、出来損ないが」
 険悪な視線で、ラセルロンが問い詰める。
「感染が問題で次郎五郎さンの施術ができナイのでしたら、私がやりマショウ」
「何だと?」
 マッドが片手で錬金術師を止めた。
「お前にできると思うのか?」
「細かい手の動きに自信はアリませんが……、それ以外にありません。私であれば、感染の心配はナイですから。それに政治的に見て、彼を放置シテおくわけにもいきません」
 マッドは苦い顔でそれに頷いた。ラセルロンは飲みこめていないようだ。
 協会長は、あの冒険者たちが[凶津星の翼]の一員であるということを否定できないでいる。信じているかどうかは半々といったところだろう。だがもしもそれが本当で、万が一にこの街で彼らに何かがあれば。
 一体どのような報復が待っていることか。
 半分とはいえ一つの街を支配し、その責任の重さを充分知っている男は、あの少年の治療に全力を注ぐよりないのだ。
「……頼む」
 協会長の言葉に、頷く。
「全身の消毒の用意をお願いしマス」
 上着を脱ぎ捨てながら、ヒューマノイドAはそう要請した。





 長い、酷い夢を見ていたような気がする。
 寒気を覚える身体は重く、指の一本すら動かせる気がしない。肌はじっとりと汗に濡れ、ただ額のみがひやりとして心地いい。
 薄く開いた目蓋が再び閉じようとするのを堪えて、頭を巡らせる。そんな小さな行動に、凄まじい頭痛を覚えた。
 弟は、ベッドの横の椅子に腰掛けていた。
 目の下にはうっすらと隈ができ、頬がややこけている。奥歯を噛みしめているのか、口をぐっと引き結んでいた。
 安堵すると同時に心配になって、薄く笑みを浮かべて口を開いた。
「……よぅ。どうした。酷い顔だぞ」
「じ……ろ……!」
 その瞬間、抑えていたものが消えたように、九十朗の顔が歪んだ。涙が次々に零れ落ちる。
「次郎……っ、次郎、次郎……。ごめん、ごめんな、次郎……」
 ただひたすら名前を呼び、謝罪を繰り返す弟に、大きく吐息を洩らす。
 自分が、何か決定的なものを失ってしまったことは薄々判っていた。
 だけど。
「お前が無事でよかったよ」
 その言葉には、一片の偽りもなかったのだ。

 
2008/11/02 マキッシュ