Here We Go!!
死んだ木の森→

 そこは、酷く暗く、寒々しく、そしてじめついていた。
 壊れかけと言ってもいいような机の上に、一本の蝋燭が炎を揺らめかせている。
「……相変わらずか」
 その灯りの外側から、短く男は問いかけた。
 はい、とくぐもった声を返すのは、頭巾を深く被った一人の人物だ。背格好は中肉中背。性別すらも、その外見から推し量れはしない。
 蝋燭の灯りにまともに照らされているのは、二人のどちらでもない。詰め物すら敷かれていない鉄製の椅子に、後ろ手に腕を拘束されて座っている男だ。頭髪はぼさぼさで、髭も顔の下半分を覆っている。死んだ魚のような、と形容しても支障はないほどどんよりとした目が中空の一点をぼんやりと見つめていた。
「顔、痒ぅならへんか? 詳しく吐いたら、きっちり剃ってやってもええんやけどな」
 軽い口調で、暗がりに立つ男が声をかける。ぬるり、と笑みを浮かべて囚人は口を開いた。
「もう慣れている。髭は何年も剃っていないからな。こんなことが拷問になると思っているなら、[旧システム]も随分と甘いものだ」
「そういうつもりとはちゃうんやけど」
 小さく呟くと、男は冷たい床に膝をつけた。囚人と視線の高さを合わせて、その顔を正面から見つめる。
「お前が以前何をやってたかはもう調べがついてる。地球防衛本部でエースパイロットやったって? どう考えても、お前はあいつの創造物やないやろ。何で、そんな大層な肩書きをどぶに捨ててまで、あいつに従うんや?」
「貴様には判るまいよ。あの方の元から離反した貴様には。あの方は確かに私の創造主ではない。あの方は救い主なのだ。あの方が腐敗と絶望の蔓延するこの世界を救うためなら、私など何度生命を散らしても惜しくはない」
 歌うような口調で主張する男を、眉を寄せて見つめる。小さく吐息を漏らすと、男は軽く立ち上がった。そのまま、無言で独房の外へと出て行く。
「追従者か。……今までいぃひんかったタイプやな。厄介な」
 苦虫を噛み潰したような顔で呟くのに、静かに後からついてきた頭巾の人物が軽く頷いて賛意を示す。
「もう一人の方はどうや?」
「あちらも変わりはありません。何も覚えていない、と主張しています」
「はいそうですか、言うて放り出せるわけやないけどな」
 肩を竦め、石造りの廊下を歩き出す。
「何か判ったら、知らせてくれ。いつでも構わへん」
「御意。我が六枚羽根」
 深々と頭を下げて、頭巾の人物は主を見送った。


「四郎様」
 城塞の下層から上がってきた男は、ぱたぱたと軽い足音をたてて近づいてきた少女に片手を上げた。
「おぅ。どないした、ヘラー」
「改良品が完成しましたので、ちょっと見て頂きたいのですが」
「早いな。流石アルケスタの愛弟子や。研究室か?」
 軽く驚嘆したようなその表情は、ほんの十数分前まで囚人と対峙していたものとは全く違う。少しばかり気恥ずかしげな顔で頷く少女と連れだって、彼は更に階段を登った。


 彼女がボスを見つけたのは、謁見の間だった。蝋燭の一本も点いていない広間で、玉座にだらしなく座ったまま眠りこけている。足元には、手に持っていたであろう書類が散乱していた。
「四郎様。四郎様、お風邪を召しますよ」
 ゆっくりと肩を揺り動かす。すぐに、男は目を開けた。
「あー……。三郎太か」
 腕を上方へ伸ばして、欠伸をする。三郎太は軽く身を屈めて、書類を拾い集めた。
「お疲れのようですね」
「おおきに。……そうでもない。まだ大丈夫や」
 手渡された書類を受け取って、苦笑いを浮かべる。
「各地の館からのレポートですか。最近、提出頻度が高いようですが」
「ああ。何や、嫌な予感がするさかいな」
「予感、ですか」
 訝しげに、三郎太が繰り返す。
「この間、アクアリウムでやりあったやろ」
「ええ。あの巨大魚の解析も進んでいないようですね」
「ああ、あれはそう簡単にいくもんやないから、それはええ。問題はタイミングや」
 小首を傾げる女性を見上げて、口を曲げる。
「アクアリウムの前に、ワシが相手をしたのは、サウスペリ。十一年前や。たった、十一年で、次の創造物が解放されるか。ありえへん。いくら、サウスペリのが未完成であったとしても、解放するんは[あいつ]の意思や。十一年は、早すぎる」
「貴方がたの時間感覚は特殊ですからね」
 彼女自身、普通の人間とは違う時間軸で生きていることを棚に上げて、そう評する。
「まぁな。どうせ、また何か企んどるんやろ。何とか先手が打てればええんやけど」
 そう返して、再度大欠伸をする。呆れ顔で三郎太が上司を見下ろした。
「寝るならお部屋でお休みください」
「まだ大丈夫や言うたやろ」
「状況に余裕があるうちに休んでおいた方がいいんじゃないですか? あまり駄々を捏ねると、無理矢理にでもベッドに放りこみますよ」
「自分が添い寝でもしてくれるん?」
 にやにやと笑みを浮かべて、問い返す。
「ええ。寝かしつけは得意なんです」
 表情一つ動かさず、彼女は指の関節をごきり、と鳴らした。
 小さく笑い声を上げて、男が立ち上がる。
「判った判った。三時間で起きるわ」
 ひらりと片手を振って、薄闇の中へ歩き出す。
 やや眉を寄せたまま、三郎太はそれを見送った。


 『凶津星』。『死と破壊と絶望を撒き散らす狼』。『暗黒に包まれたバルログの長』。
 世界最大級の恐れをもってその存在を語られる養父が、ひたすら忙しく働いていた頃。

「討伐隊?」
 きょとん、とした顔で黒髪の青年が問いかけた。
「ええ。この城塞へ来る途中、分かれ道があったでしょう」
 羊皮紙を何枚か手にして、城主であるトゥキが頷いた。
「あれを更に登っていくと、その先には既に閉鎖された鉱山があります。坑道の中とその手前の森には、鉱山で働いていた時に死亡した鉱夫たちがゾンビとなって彷徨っているのです」
「鉱夫……ってことは、人間なんだよな」
 難しい表情で、銀髪の青年が呟く。
「人のかたちをしている、という点ではそうです。が、彼らは既に人ではありません。死を受け入れられずに足掻く哀れな者たちです。彼らが何故アンデッドとなったのかは明らかになっていませんが、あまり放置しておくと麓のエルナスにまで降りていく者も現れるのです。ですから、数ヶ月おきに彼らの数を減らしにいくことにしているのですが」
 ここ数日、城塞内で手持ちぶさたにしている兄弟に、よければそれに参加しないかと持ちかけたのだ。
 が、予想とは違って、彼らはやや渋い表情を浮かべている。
「それは、四郎様は承知していることなのか?」
「え? ええ。というか、討伐は四郎様の傘下に入る前からのことですが、今まで別段止められたことはありませんね」
 不審そうな顔で答えたトゥキに、ようやく次郎五郎が頷く。
「よし。じゃあ参加させて貰おう。初めてだから勝手が判らないかも知れないが、足手纏いにはならないようにする」
「次郎……」
 気遣わしげに兄を見る九十朗を、冷静に見返す。
「四郎様が認めていらっしゃることだ。大丈夫だよ」
 二人の態度にやや不審感が残ったものの、城主はその時は深く追求しなかった。


 翌朝、まだ陽が登る前に、討伐隊は城門前へ集合していた。
 通常勤務を欠かす訳にはいかないため、人数は精々五十人といったところだ。
 城主であるトゥキは参加しない。指揮を執るのは分隊長の一人で、既に顔馴染みになっていた兄弟へ近づいてきた。
「本日は宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 早朝だというのに、次郎五郎の顔には眠気は見られない。やや緊張しているような二人に、分隊長は笑みを向けた。
「そう大した戦いではありません。深追いもしませんし、そもそも日帰りで済むようなものです。気楽になさってください」
「ええ。ありがとう」
 しかし、二人の固い表情は消えなかった。

 城を出立して、二時間ほど進んだ辺りで討伐隊は立ち止まった。
 周囲には立ち枯れた木々が呪うように曇り空へ指先を伸ばしている。
「そろそろ出てくる頃です。お二人は集団戦は不慣れでしょうから、しばらく後方へ控えていらした方がよいかと」
 分隊長の勧めに頷く。
 やがて地を這うような呻きと共に、木々の奥の暗がりで何かが蠢いた。
 のそり、と開けた場所へ出てきたものの姿に、次郎五郎と九十朗が息を飲む。
 皮膚はどす黒く変色し、ところどころ腐り落ちかけている。ぼろぼろになった衣類をかろうじて身につけているが、それは人間性を回復させる役には立っていなかった。
 凄まじい悪臭が、周囲に満ちる。
 瞬間、ゾンビの身体に数本の矢が突き立つ。衝撃で背後へ倒れた鉱夫が、ゆっくりと顔を上げた。
 兄弟は、以前ビクトリア大陸でゾンビルーパンというアンデッドと闘ったことがある。
 しかしその時はこれほどに身体が腐敗している、ということはなかった。あちらは元々、魔術で作られた存在であるため、この鉱夫とは成り立ちが違うのだろうか。
 手に剣を持った戦士たちが、注意深く鉱夫へと近づいていく。
「弓士や魔法使いが遠距離からある程度のダメージを与え、その後戦士が止めを差しに行きます。動きが鈍いのでさほど心配はありませんが、囲まれないようにだけ注意してください。奴らは毒を持っています」
 幾つかの隊に別れ、森の中を探していくようだ。剣を抜いて、兄弟は進んでいった。



「そうか。ご苦労だった」
 短く、討伐隊の分隊長の報告を労う。特に負傷者もなく、順調であったということだ。問題はない。
 数十分後、廊下を歩いていたトゥキは、胸壁でぼんやりと外を見ている青年に気づいた。
「……寒くはないのですか?」
 窓を開き、呆れた声をかける。彼は雪国で生まれ育っているが、必要もないのに好きこのんで外へ出たくはなかった。
「頭を冷やしたいんだよ」
 言って、大きく溜め息をつく。ぶるぶると犬のように激しく頭を振ると、九十朗はトゥキに向き直った。
「あのさ。……あんた、人を殺したことってあるか?」
「ええ」
 即答した相手に、ちょっと怯む。
「プリーストじゃなかったっけ?」
「綺麗事で城塞を一つ預かっていける訳ではありません」
 肩を竦めて返す。そのさばさばとした様子に、九十朗が苦笑した。
「俺は、まだ人を殺したことはないんだ。……次郎は、ある。多分、七歳ぐらいの時だった」
「……それはまた」
 その年齢は、流石に予想していたよりも幼い。
「俺を護るためだったんだ。その直後、俺たちは四郎様に拾われた。あの人が、人殺しをどう思ってるか知ってるだろう?」
「ええ」
 ボスの殺生に対する姿勢は、組織に徹底されている。それでも、『無闇な殺人』は固く禁じられているという程度であり、おそらくは正当防衛であっただろう子供の行為を酷く咎めたりはしないと推測されるが。
「俺たちは、多分もう人は殺せない。まあ、それは何とかなる。殺さなくても通用するぐらいに強くなっていけばいいだけだ。でも、次郎は」
 既に経験してしまっている、あの青年は。
「……次郎殿は、今は?」
 彼らは、今日の討伐隊に参加していたはずだ。努めて穏やかに問いかける。
「部屋に行ってるよ。疲れたから飯も要らないって」
 九十朗が、大きく息をついた。胸牆にもたれ、白く濁った空を見上げる。その黒髪が雪の上に散って、トゥキは密かに身震いした。
「俺は、次郎に何をしてやれるのかなぁ……」
 この兄弟の、この親子の関係に歪みがあることは、薄々感じられてはいた。
 だが、そのようなもの、実の親子であってもあり得ることだ。つまりは、それが普通ということなのだろう。
 事実、トゥキは厳格で強靱な城主であった自分の父親との関係に全くの歪みがなかったなどとは思っていない。
「とりあえず、風邪をひかないうちに中に入るべきだと思いますね」
 冷静なトゥキの声に、むっとして九十朗が顔を上げた。
「そういうことを言ってるわけじゃねぇよ」
「そういうことです。ご家族に余計な心配をさせるべきじゃない。一人前になるには何よりも自らを律することです。それができないうちに他人を支えようとしたって、よくて共倒れになるだけですよ」
「……悪かったら?」
 共倒れ以上に悪いことが思いつかなかったのだろう、問いかけられる。
「周囲を巻きこんで倒れますね。早く自律なさい。そもそも、貴方はもうただの冒険者じゃない。[一枚羽根]としての自覚と、組織への責任を持って下さい」
「了解しましたよ、[四枚羽根]」
 気持ちを切り替えたのか、おどけたように言うのを流す。胸牆から離れた九十朗がばさばさと髪から雪を払い落とし始め、慌てて窓を閉めた。


「埒があかんわ……」
 ばさり、と机の上に紙の束を投げ出して呟く。
 城塞の一室で、四郎と三郎太、トゥキが会議の卓を囲んでいた。
 各地からの報告は、できる限り詳細を極めてはいる。だが、『凶津星の翼』の拠点は、世界の全ての街に設けられている訳ではない。むしろ、一つもないという大陸もある。
 しかし、この現況で調査が穴だらけであることは容認し難いのだ。
 元からないものはまだ仕方がない。だが。
「閉鎖しとるところぐらいは何とかしてみるか……」
「どうされるおつもりなんですか?」
 不吉な予感に、三郎太が問いかけた。
「そりゃ勿論ワシが直々に乗りこんで調査を」
「却下です」
 一言で決断を下されて、四郎が情けない顔になる。
「しゃあないやんか、それ以外にど」
「閉鎖にはそれぞれやむを得ない理由があったでしょう。今の状況を無意味に悪化させたいんですか?」
「ワシがボスやった筈なんやけどなぁ……」
 俯いてぶつぶつとぼやく男を、半ば呆れて同席者たちは見やった。
「ああ、では、オルビスはヘラーに行って貰ったらどうでしょう。開発がひと段落して、しばらく休暇が取れたらありがたいとこの間言っていましたよ」
 トゥキが建設的な意見を出してみる。
「ヘラーか? あいつは厳密には[羽根]やのぅて客分やからなぁ。下手に危険なことをさせるんも悪いし」
「しかしオルビスにはヘラーの住居があります。しばらく留守にしていた彼女が街の状況を尋ねる方が、見知らぬ人間が嗅ぎ回るよりも自然でしょう。当然、彼女が嫌だと言わなければ、ですが」
 続く言葉に、ちょっと考えこむ。
「まあ、打診するだけしてみるか。休暇はそれとは別に取って貰ろてええし。……後は、マガティアやけど」
「駄目です」
 更に即断されて、四郎はちょっと涙目になった。
「いやそこまできっぱり言わんでも」
「マガティアは話が別です。十八年前の騒動を忘れた訳ではないですよね? 四郎様が今後一切マガティアの『扉』に干渉しない、そういう条件で何とか組織はあれ以上の損害を受けずに済んだんです。向こうにしてみればもっと被害があったわけで、たった十八年で忘れて貰えるとは思えません。大体、バレたらアルケスタが黙ってはいませんよ」
 畳みかけられるように非難されて、四郎が呻く。
「……[二枚羽根]か[三枚羽根]で、あまり顔を知られてへん奴でも送りこむか。陸路になるから時間はかかってまうけど」
 隠密活動という意味では、現地で二年前にちょっとした騒ぎに巻きこまれた次郎五郎と九十朗は、訓練不足という二重の理由で起用できない。
 人員の選定を各地に要請する、という結論に達して、会議は進んでいった。



 ヘラーの出立に際しては、[羽根]を冠する全員が見送りに立ち会った。
「では行って参ります」
 ぺこり、とヘラーが会釈する。ピンクのローブに身を包み、手には少し大きめの荷物を手にしていた。
「おぅ、気をつけてな」
 四郎がにこやかに手を振る。
「ゼイドに宜しく言っておいてくれ」
 兄弟の言葉に微笑んで頷く。
 彼女は麓のエルナスに昔馴染みがいるため、一端そちらに顔を出してからオルビスへ向かうことにしていた。
「ではいいですか?」
 トゥキが確認後、ミスティックドアを開く。
 仲間たちの挨拶を背に、彼女は姿を消した。





「お呼びですか、お父様」
 静かな声で呼びかける。『父』は、騒々しさを嫌う。
「おお。そろそろ妹たちに通達を出しなさい。もう数日中には、第一の計画が開始できそうだよ」
「おめでとうございます。直ちに手配致します」
 礼儀正しく一礼して、答える。
「お前もきちんと用意しておくように。何と言っても初陣だからね」
「……はい」
 覚えていてくれた。
 そのことだけで、胸の奥が熱くなる。
 絶対にこの方を失望させまい。それを改めて心に誓い、その場を立ち去った。



 ヘラーを見送って、二日後の早朝。
 鐘楼で任務に就いていた兵士が、大きく欠伸をした。
 標高の高い雪山にある城塞で、更に最上部と言ってもいいほどの高さだ。用途上、窓にはガラスも嵌っていない。
 だが部屋の片隅には暖炉が設けられているし、定期的に四方を見渡す窓から見張る間も、毛皮のマントがある程度は冷気から守ってくれる。
 東の空から、僅かに曙光が兆した。
 一瞬だけ周囲を照らし、またふっと消えたそれは、しかし見慣れぬものを映し出していた。
 山道を蠢く無数の影。
 兵士は、息を飲む間もなく鐘に飛びついた。


 連打される鐘の音に、城塞が目を覚ます。
 次郎五郎が謁見の間に飛びこんだ時には、もう四郎と三郎太、トゥキが揃っていた。
「遅くなりました!」
「まだ大丈夫や。……九十朗は?」
 弟の姿が見えないことを尋ねられ、背筋を伸ばす。
「九十朗は、鎧を着てから来るそうです。さほど遅れはしないと思うのですが」
「判った」
 答える次郎五郎も、手袋と刀は手に掴んだままだ。最低限の身支度で駆けつけたのだから仕方ない。
 他の三人は必要な武装もない分、時間はかからなかったのだろう。
 壁面に映し出された映像に、目を凝らす。
 まだ外部は暗く、それは判然としない。
 影の濃淡がじわじわと蠢き、山道をこちらへ向かってきていることぐらいしか。
「あれは?」
「多分、鉱夫のゾンビでしょう。しかし先日討伐隊を出したばかりで、もうこれほどの数が溢れだすとは考えにくいのですが」
 難しい声でトゥキが答える。僅かに次郎五郎の肩が強ばった。
「夜が明けるまで兵を外には出したないけど、その間に麓に向かわれたら止めるんが面倒くさくなんなぁ」
 呑気な声で四郎が呟く。
 ゾンビの討伐は、厳密には[凶津星の翼]が責を負うべきものではない。どちらかと言えば城塞自体の任務であり、四郎が積極的に関わり合う必要はなかった。
 だが。
「……下山はしていないようですね」
 三郎太が小さく漏らす。
 陽が昇り始め、今まで見えなかった辺りもぼんやりと視界が効くようになっていた。どうやら、ゾンビの大群は分かれ道から城塞へ向けて進んできているようだ。
「こちらへ向かっているんですか?」
 次郎五郎の言葉に、四郎が笑みを浮かべた。
「なに、心配は要らん。奴らの包囲戦は別に珍しいもんやない。大体、七・八十年に一回はうっかりこっちに来てしもとる。そもそもこの城は難攻不落や。今まで一度も陥落したことはないからな」
「うっかりなんですか……」
「そこは信用しないでください」
 とりあえず零した言葉に、トゥキが冷たく反論する。
 城内には緊張こそあるものの、危機感はない。
 時間はかかるかもしれないが、奴らを退けるのは難しくはない。
 そう、彼らが思っているところに。

『ご機嫌よう、[旧システム]』

 しんとした空気を裂いて、その声が響いた。


「なんや……?」
「人が?」
 アンデッドには理性はない。まともな言語など発することもできず、呻き声をあげるのが精々だ。
 また、自らからは失われた生への執着は、生命あるものたちへの執拗な攻撃へと転化している。例え周囲の全てを殺戮し尽くしても、それは満たされることはない。
 つまり、ゾンビの群れの中に、生あるものが無事に存在できるわけはないのだ。
 トゥキの映し出す映像が、何度か切り替わる。
 やがて、彼はゾンビたちとは全く違う服装の人影を見つけ出した。

 小柄な身体を茶色の帽子とマントで包んでいる。どす黒いゾンビたちのただ中で、白っぽい金髪が酷く目立つ。まだ幼さの残る顔にかけた眼鏡が小さく光を反射していた。
 その表情は、酷く傲慢だ。
「子供か?」
 戸惑った声が漏れた。
 次郎五郎が、僅かに眉を寄せる。
「この、声……」
 掠れた声が、背後から聞こえた。
 九十朗が、開かれた扉の向こう側にいた。見開いた目は、城門の外を映す映像に釘付けになっている。
「よぅ、九十朗。どないした」
 四郎があえて軽く声をかけるが、耳に入っていないようだ。
 そうだ、この声。そして、この言葉。
 ひっかかりが解けた瞬間、次郎五郎が慌てて身を翻す。
 が。
「ぁああああああああっ!」
 腹の底から叫んで、九十朗は廊下を疾走した。

「止まれ、九十朗!」
 銀髪の青年が後を追う。
 追いつけるとは思えない。だが、声は聞こえている筈だ。
 弟は廊下の突き当たりで、胸壁へ出るための手近な扉を押し開けていた。手間取るようであれば、おそらく叩き壊していただろう。
 幸いすぐに開き、その勢いのまま走り抜ける。
「待て!」
 次郎五郎の制止も、全く認識していない。
 まずい。まずい。まずい。まずい!
 すでに臨戦態勢を取っているため、胸壁には多くの兵士たちがいた。呆気に取られた彼らの視線を一身に集め、九十郎は胸の辺りまである高さの胸牆に一歩で躍り上がり、そして。
 飛び降りた。

「ええええええええええっ!?」
 兵士たちがどよめく。
 謁見の間があるのは、三階だ。地表まではざっと十五メートルほどの高さがある。
 金属音が、鳴り響く。
「九十朗……ッ!」
 胸牆に辿り着いた兄を、近くにいた兵士が咄嗟に止めた。
 息を切らし、身を乗り出すようにして下を覗きこむと、数メートル下のテラスに九十朗は着地している。
 兵士は安堵に息をついたが、次郎五郎の身体から緊張が解けていないことには気づかない。
 一方、黒髪の剣士は立ち上がりざまにすらり、と背に負った大剣を抜き放ち、テラスの先端まで進む。
「そこを動くんじゃねぇぞ、糞野郎!」
 怒声が、びりびりと空気を震わせる。
 屍の大群の中にいる人物が、小さく小首を傾げた。が、数秒で思い至ったのか、ぽん、と手を打つ。
「ああ誰かと思えば、二年前にマガティアできゃんきゃん吠えてきたらしい仔犬じゃない。二年で随分育ったものね。見違えた。うん、人間というものは成長が早くていい」
 うんうんと一人で頷く。
「ところで、確かもう一匹仔犬がいたと聞いてるけど。ひょっとしてあの時遊んであげたから、疲れてあっさりと死んじゃったのかな?」
 その嘲るような口調を耳にして、次郎五郎の膝が崩れた。
「大丈夫ですか?」
「……駄目だ」
 心配そうに尋ねる兵士に、力なく呟く。
 もう、駄目だ。
 もう、自分では九十朗を止められない。
 今の弟は、噂で流布するところの、『手綱が外れた』状態だ。ここへ辿り着くまでの三年間で、そういう状況に陥ったことは数えるほどしかない。だが、正直次郎五郎はあまり思い出したくなかった。
 ああ、しかしできれば人的・物的被害ができるだけ少なく済めばいいのだが。
 無駄だとは知りつつ、強く願ってみる。
 周囲を圧倒する、痛いほどの沈黙が、むしろ怖い。
「立ちなさい、次郎五郎」
 背後から、涼やかな声がかけられる。
 力なく振り向くと、そこには三郎太とトゥキがいた。
「立ちなさい。敵の前で膝をついてはなりません」
 毅然として再度促され、ゆっくりと立ち上がる。下から吹き上げる風が、懐かしい香りを運んできた。
 僅かに、血の気が引く。
「……ほぅか。お前が、二年前、ワシの息子の左眼ェ抉り取ってくれよったんか」
 城塞が、再度ざわめいた。

 下階のテラスには、[六枚羽根]がいた。
 片手の指に煙草を挟み、もう片方の手で九十朗の頭を鷲掴みにしている。九十朗の前のめりの姿勢を見ると懸命に前へ進もうとしているようだが、その努力は全く成果を上げていない。
 隣にいた兵士が息を飲み、食い入るように門外の群れを凝視する。
 彼ら兄弟が四郎の養い子であることは周知の事実だ。次郎五郎の左眼が失われていることも。
 しかしそれが事故などではなく人為的なものであり、更に手を下した相手が軍勢を率いて目の前にいる。この事実が士気にどう作用するか、推測できないわけもない。
 四郎の気持ちは、それは嬉しい。九十朗を物理的に止めていてくれるのも、ありがたい。
 しかし、次郎五郎にとって、状況はある意味最悪に近かった。
「ようやく出てきたね、[旧システム]。怖じ気づいていたのかい?」
「阿呆。たかが有象無象連れて敵対行動取っただけの奴に、わざわざこのワシが顔出すとでも思っとるんか。お前がワシにとって取るに足らん相手やったらすぐ戻るわ」
 侮蔑に満ちた言葉が交わされる。
「そう。私は、風来坊錬金術師。父、[最後の五大賢者]の命により、[旧システム]の停止にやってきた。大人しく運命を受け入れるがいい!」
「……風来坊錬金術師?」
 高らかに宣言された言葉に、不審そうに三郎太が呟く。
「確か、スリーピーウッドにいたのを見た覚えがあるけど」
「え? エルナスにそんな名前の錬金術師が滞在していると聞いていましたよ」
 トゥキがそれに反論する。
 まあ、色々な土地を渡っていたのだろう。風来坊というぐらいだ。
 その場の者たちがそれで納得しそうになっていた時。
「もう一つ、ワシの質問に答えぇ。お前が、ワシの息子に手ェかけよったんか? 先刻の言い方やと、伝聞が入っとるみたいやった。お前やないんやったら、ちょい手加減したってもええで?」
 四郎の言葉に、ずっと無言で前進を試みていた九十朗の動きが、ぴたりと止まった。
 だが、必要とあればすぐ飛び出せる体勢であるのは違いがない。
 次郎五郎が眉を寄せる。あの時、自分はすぐに意識を失っていた。しかも、はっきりと見えた訳ではなかったという状態だが、今、城門の外にいる人物はその記憶と合致する。
「旧式のくせに聡いね。厳密には、彼らと遊んでいたのは、私の妹の一人よ」
「妹やて?」
「私の妹たちは、この世界のどこにでもいる。お父様の為に全ての街で情報を集め、それを私たちは全て共有しているの。だから、お前の息子とやらがどれだけ無様な醜態を晒していたか、私は全部知っているよ」
 がきん、と硬い音が響く。
 九十朗が、大剣を石造りのテラスに突き立て、それを支えにして四郎を振り切ろうとしているのだ。抑えつけている養父の腕が、僅かに揺れ始めていた。
「なるほど。[五人目]は今まで色々創ってきとったけど、とうとう虫けらにまで手ぇ出しよったとは思わへんかったわ」
 四郎の声は、ひたすらに冷静だ。
「虫けら、ですって……?」
 一方、風来坊錬金術師の声には怒りが滲んでいた。
 蟻や蜂など、一部の昆虫には、そういった集団意識をもつ種類がある。それを揶揄した言葉に、彼女のプライドが傷ついたのだろう。
「千三百年前の、老朽化した欠陥品が言ってくれるじゃないの!」
「その欠陥品に、[五人目]の創造物が今まで悉く潰されとることを判ってて来とるんやろうな? 貴様も貴様の妹たちも、最後の一人の最後の細胞一つに至るまで擂り潰したるさかい、そう思え!」
 四郎の怒声が、他を圧倒して響く。一瞬の後に、城塞全体から雄叫びが上がった。
 城門が、鈍い音を立てる。ゾンビたちが攻撃を開始したのだ。
「弓兵!」
 トゥキが、一瞬で城塞の各所へ指示を飛ばした。無数の矢が、押し寄せるゾンビたちへ頭上から降り注ぐ。
 一本煙草を吸い終えるまでそれを見下ろし、四郎は九十朗を掴んだまま踵を返した。ずるずると青年の身体を引き摺りながら、屋内へと戻っていく。
「……三郎太さん。俺は、別に殺された訳ではないんだってことを、あの二人に判らせるにはどうしたらいいんでしょうか……」
 次郎五郎が力なく呟いた。
「無理ね。私だって、今すぐあの小娘のそっ首へし折りたくて仕方がないのだから」
 あっさりとそう告げて、三郎太は向きを変えた。
 何か言いたげな視線を向けられて、トゥキは素っ気なく口を開く。
「ご家族の問題を他人に持ちこまないでください」
 が、目に見えて肩を落とした青年に、ちょっとばつが悪そうに続ける。
「……同情はしますよ」
「ありがとう」
 溜め息をついて、彼も足を進めた。

「[五人目]が相手っちゅうことがはっきりしたさかい、最終的な指揮はワシが取る。現場については、引き続きトゥキに頼む」
 謁見の間には大きなテーブルと椅子が運びこまれ、『凶津星の翼』の幹部たちはそこで作戦会議に入っていた。
 九十朗はあからさまに不機嫌だし、次郎五郎の苛立ちも容易に察することができたが、他者は完全にそれを流していた。そもそも、この状況で[一枚羽根]の発言に重みはない。
「基本的には、籠城戦になるやろう。物資は豊富やし、困ることはない。けど、あのゾンビがなぁ。単純に、山ん中におるアンデッドなんか、[五人目]が生み出した奴らなんかがよぅ判らん。見たとこ、そういう兆候はなかったけど」
 難しい顔で、トゥキの映し出す戦況を見上げる。
 現在、こちらは弓矢や魔法による遠距離攻撃で、城門に押し寄せる敵に対応している。
 城塞の周囲は、城門のある一辺を除くと、後は断崖絶壁だ。崖上から降りてくるのも、崖下から登ってくるのも難しい。しかし、城主と同じように遠視ができる者たちによる見張りや、兵士たちによる定期的な巡回は欠かせない。
「ちょっとでも妙な動きがあったら、すぐにワシに知らせてくれ。もし、[五人目]の創造物やったら、ワシ以外には対処できへん。多分大丈夫やとは思うけどな」
 はい、とトゥキが頷く。
「あの錬金術師はどうなんですか?」
 三郎太が疑問を呈する。
「ん。ワシらみたいな破壊に特化した創造物は、この城塞みたいな特殊な場所でないと、土地に影響を出してしまうのは判っとるな。あの錬金術師の役目は、主に情報収集みたいやった。土地への影響は最小限抑えておかんかったら、役目は果たせへん。つまり、あいつは大技は出せへんと見てええやろ。指揮能力については未知数やけど」
 その後、細々とした決定を経て、四郎はだん、と掌をテーブルに叩きつけた。
「相手はゾンビでも創造物でもない。[五人目]本人やと思え。決して気は抜くな。あいつは、どんな思いがけないことでもやってのける。せやけど、ワシは千年それを潰し続けた。ワシに手を貸してくれた、多くの勇気ある人間たちと。今回かて同じや。ワシらは勝つ。絶対に」
 ぐるりと、部下たちを見回す。全員の表情に満足そうに笑みを浮かべて、立ち上がった。
「さ、次は家族会議やな。場所移すで」
「え?」
 虚を衝かれて、小さく声を上げた。九十朗と三郎太は異論を唱えることもなく、それに続いている。
「四郎様、でもこんな大事な時に……」
「大事なことやから早いとこ済ませてまうんやろ。何かあったらすぐに言うてくれや、トゥキ」
「ええ。その時は遠慮なく」
 城主は反対するでもなく、さらりとそれに応えた。

「そもそも、何で四郎様は俺を止めたんですか! あのままだったら、すぐに俺があの野郎ぶった斬って、今頃全部終わってたのに!」
 憤然として九十朗が不満をぶつけてくる。
「いや、城門からあいつのとこまでどれだけゾンビがおったと思とんねん。下手に門開けたら奴らが入ってきよるやろうが」
「それ以前に、あのテラスから地上までは何も障害物がありませんよ。しかも地面は凍りついています。いくらお前でも、鎧を着て十メートル以上の落下は無事に済むとは思えませんね」
「俺は、とりあえず周りに被害が出なかっただけでほっとしたよ……」
 だが、三者から一様に反論されて、むっとして口を噤んだ。
 未だに怒りは消えていないが、あの我を忘れるほどの狂乱状態からは脱している。
 別に、次郎五郎は常に弟をコントロールしたいと思っている訳ではない。しかし、ごく稀にとはいえ、こうして状況を全く顧みずに目的に向かって突き進むことがあるなら、それを止めるのは自分の役割だと思っている。
 彼ら家族が移動した場所は、四郎の自室だった。居間の暖炉の周囲に居心地よく並べられたソファにそれぞれ座っている。だが、気分的には居心地がいいとはとてもいえない。
「ええか、九十朗。次郎五郎も。これは一対一の戦いやない。指揮官の言葉に従えへんのやったら、それは逆に利敵行為や。勝手な行動を取るようやったら、今すぐ部屋に戻ってベッドから出てくるんやないで」
「子供じゃないんですから、四郎様……」
 呆れて呟くが、そもそも次郎五郎は命令に反するつもりは毛頭ない。
 しかし。
「だけど、あいつを殺すのは俺です。次郎は俺の兄貴だ。仇を取るのは、俺の役目です」
「阿呆。あいつは[五人目]の創造物や。いくら攻撃力を重視してへん言うたかて、お前に手が出せるもんやない。あいつを潰すんはワシや。父親として、息子に手ぇかけた奴を見過ごせるか」
「次郎は、俺の目の前でヤられたんですよ! 俺を庇って! その場にいなかった四郎様なんかに、とやかく言われる筋合いはありません!」
「……言うようになったやんか。あ?」
 四郎が、にやりと笑みを深める。
 ……あ。駄目だ。まだ全然冷静になっていない。
 溜め息をついて、次郎五郎は口を開いた。
「あのですね。とりあえず、俺は無事なんですが判ってますか?」
「いや無事やないやろ」
 さらりと四郎にツッこまれる。
「そうだよ。次郎が、どれぐらい辛かったか……」
「俺は辛くないよ」
 静かに、次郎五郎が遮った。
「俺は辛いなんて思ったことはない。左眼は確かに見えなくなった。だけど、両眼じゃない。両手も両足も動く。剣を握ることができる。それなりに戦うことだってできる。九十朗、お前が無事でいてくれる。四郎様も三郎太さんも。俺がどうして辛いだなんて思うんだ?」
「次郎……」
 九十朗が、泣き出す寸前のような表情になる。
 次郎五郎は僅かに不思議そうに家族の顔を見た。
 四郎が吐息を漏らす。
「三郎太。そろそろ、様子を見にトゥキのとこに行ってくれ。九十朗も一緒に」
「はい」
 短く答えて、女性は九十朗を促した。少し抵抗しそうな動きを見せたが、黒髪の青年はおとなしくそれに続く。
 扉が閉まった後、戸惑う次郎五郎の隣に四郎が座った。困ったようにがしがしと自分の髪の毛をかき回す。
「あー……。あのな。上手く言えへんから、ちょおはっきり言うわ」
「はい」
 小首を傾げて、養父の言葉を待ち受ける。元々予測のつかなかったそれは、完全に次郎五郎の意表を衝いた。
「お前ひょっとして、左眼のことがあってから、そのことで泣いたことないんとちゃうか?」

「……え?」
 きょとんとして、その呟きだけが唇から漏れる。だが、養父は真剣な目で次郎五郎を見つめていた。
「それは……、ないですけど。でも、そもそもこれは俺がヘマをしたから受けた傷です。全部、俺の不手際です。泣くような筋合いのことじゃないんですから」
 何とか説明しようとするが、四郎の顔はそれを納得していない。
「それに、俺はもう十六歳だったんですよ。泣くだなんて、そんな」
「まだ十六やった。大の男でも、絶望に泣き叫んだかておかしない」
 ぽつり、と遮られる。一瞬、ぐっと言葉を飲みこむ。
「俺の感情を、決めつけないでください!」
 そして、衝動のままに叫んだ。
「貴方も九十朗も! 辛いだろうとか苦しいだろうとか悲しいだろうとか! 思わなかったんですよ、それが悪いことですか? それで何か困ることがあるんですか? 俺は、ただ、九十朗が……」
 感情のコントロールができていないのは、自分だ。
 ぎりぎりの理性で、言葉を止める。
「九十朗が?」
 静かに、四郎が促した。今の彼には、先ほどの痛ましげな表情は見られない。
「九十朗が……、あいつが、無事でいてくれたから、俺は満足なんです。本当に、それだけなんですよ」
「ん。そうか」
 軽く言って、温かい大きな手が、頭に乗せられた。無造作にわしわしと撫でられる。
「次郎は、ほんまにええお兄ちゃんやなぁ」
 その一言が。
 すとん、とまっすぐ心の中に落ちた気がして。
 しばらく呆然としていた次郎五郎は、ふと、頬を濡らすものに気づいて、慌てて俯いた。
「……っ、四郎様が子供扱いするからですよ……」
「子供やんか」
 笑みを含んだ声に、奥歯を噛みしめる。
 褒めて欲しいなどと、思ったことはない。
 認めて欲しいなどと、考えたことはない。
 だって、当たり前のことだったのだから。
 なのに。
「……九十朗が、辛そうなんです。俺の、傷を見るたびに。俺が体調を崩すたびに。俺がもっと強ければ、あいつに、そんな思いをさせることなんて、ないのに」
 心の痞えが、ぽろぽろと口をつく。
「うん」
「俺は平気なんです。本当に、平気、なんです。だけど、九十朗が苦しそうにしているのが、それだけが、辛い……!」
 ぱたぱたと、膝に滴が落ちる。
 ゆっくりと父親が頭を撫で続けていてくれて、次郎五郎は一層強く瞼を閉じた。




 攻城戦が始まって、三日が経った。
 次郎五郎は司令室の椅子に刀を抱くようにして座っていた。ここしばらくは身じろぎもしていない。
 一方で九十朗は部屋の中を歩き回っている。苛立ち紛れに石の床に叩きつける鋼鉄製の靴音が耳障りだ。
 やがて扉が開き、不在だった三人が姿を見せた。
 素早く立ち上がり、出迎える。
「お疲れ様です」
「おぅ」
「どうでした?」
 勢いこんで九十朗が尋ねる。
 彼らは、トゥキの部下たちとの会議に出ていた。兄弟は所属としては四郎の直属となるため、それには参加できない。
「ちょっと不満が出てきてるな」
「不満、ですか?」
 苦笑して、四郎が椅子に腰掛けた。
「お前らのと似たようなもんや。今、弓士と魔法使いだけが攻撃に参加しとるやろ。近距離攻撃しかできん戦士は見張りとか日常業務に回されて、つまらへんのやと」
「そういう意図ではありません。ただ、彼らも攻撃に参加したいのです」
 生真面目にトゥキが訂正した。
「せやけど、城門前の密集っぷりを見ると、そう簡単に討って出る訳にもいかんしなぁ」
 決して、兵士たちの腕が悪いわけではない。だがゾンビを倒しても、また森の奥からぞくぞくと押し寄せてくるのだ。
「俺が一人で出て、とりあえず十メートル四方ほどを焼き払いましょうか?」
 刀を手にして、次郎五郎が無造作に提案する。
 少し意外そうにトゥキが視線を向けた。
 彼ら兄弟は、『人のかたちをしたもの』に弱いのではないかと思っていたのだが。
 尤も、城の外の軍勢は四郎の敵である。それに対して怯む、ということなど、既に彼らの思考にはなかった。
 四郎が頭を振る。
「お前を外に出す間に、どれだけ中に入られると思う。あの城門が突破されてへんのは、こっちの一番の優位や。無理はできん」
 一旦言葉を切ってから、口を開く。
「ほんまに、十メートル四方ぐらいを焼き払えるんか?」
「三度ほど武器が振るえれば。集中しますから、一、二分はかかります」
 肩を竦めて、説明する。四郎が、傍らの地図を広げた。
「城の西側に通用門があるやろ」
 そちらは山側だ。そびえ立つ絶壁と城壁の間には二メートルほどの幅があり、更に幾つかの門を設けた後に正門前へと繋がっている。
「次郎と、メイジを二名。三人が出口からある程度の敵を殲滅して、場所を空ける。そこに戦士を突入させたらええ。元々この辺は手薄やし、ゾンビの動きは遅いさかい、武器を振り回す余裕は充分な筈や。ある程度引っ掻き回したら早めに撤退せぇ。そん時も、三人がしんがりを守っとったら進入されることもないやろう。されても、食い止める場所はある」
「この通路の狭さだと同行できるのは二十人といったところですね。戦士の半数ぐらいです」
「選抜を頼む。……横手からの攻撃もあり得ると判れば、あいつらも少しは警戒するやろう」
 四郎が薄く笑う。
 初日以来、風来坊錬金術師はぱったりとその姿を見せていない。
「俺も行ってもいいですか、四郎様?」
 九十朗の言葉に、四郎は眉を寄せた。
「この間も言うたけど、勝手な行動をするんやったら許可できへん。これは遊撃隊や。指揮は分隊長が取ることになるやろう。こういう作戦で、一人の命令違反がどれだけの被害を出すか、判ってるんか?」
「勝手なことはしません。絶対に」
 きっぱりと九十朗が断言する。
「ん。ならええ」
 さらりと四郎が許可を与えたことに、九十朗はきょとんとした。
 この青年は、嘘をつくことが苦手だ。自分を抑えるつもりがないのなら、先にそう言っていただろう。
 大体、参加したがっているのは、単に血が騒いでいるだけなのだ。その辺りを、四郎はよく判っている。
「ありがとうございます!」
 元気よく頭を下げる九十朗を不安に思っているのは、むしろ兄の方だったが。


 出撃は翌朝となった。
 アンデッドに対して、夜襲は無意味どころかこちらが不利だ。視界が効くだけ、陽が昇った後の方がいい。
 前日のうちに、出撃のメンバーから漏れた戦士たちが志願して通路の雪をかいていてくれたので、雪道とはいえさほど苦労はなかった。
 冷たい空気に、吐息が白く曇る。それが何を意味するか判断できるだけの知能はゾンビにはないが、通用門から細い通路を進んで行く間、気づかれはしないかと彼らは度々気を揉んでいた。
 用心深く進んで、ようやく城壁の隅に辿り着く。斥候として先行していた戦士が戻ってきた。
「城門の方に固まっている奴ら以外がこちらに来ています。時々城壁をよじ登ろうとしていますが、殆どはうろうろしているだけですね。数はおよそ百」
 出撃前に城の上から見ていた状況と大差はない。
 次郎五郎と二人のメイジが、そっと雪道を進む。
 メイジの方が、魔法の飛距離は長い。呼吸を整え、まず次郎五郎が角から躍り出た。素早く抜きはなった刀の軌跡が、炎の鞭のようにゾンビへ襲いかかる。
 最も近くにいた数体のゾンビが、呻きながら燃え尽きる。次いでメイジのファイアアローがその先の敵を捉えた。
 灼熱に揺らめく空気の向こう側に、のろのろとこちらを振り向く姿が見える。
 間髪を容れず、戦士たちが走り出す。
「無理をするなよ、次郎!」
 すれ違いざまにそう言い置いて、九十朗が走っていった。
「……こっちの台詞なんだが」
 小さく呟いて、気遣わしげにその後ろ姿を見送った。


「動いた……!」
 『眼』の映し出す映像に、闇の中で笑みを零す。
 ぬかりはない。勝つのは私たちだ。


 討伐隊に同行した時とは、少々勝手が違う。渋々、九十朗はそれを認めていた。
 あの時はゾンビの数も少なく、先に遠距離攻撃で弱らせたところを止めを差しにいく形だった。今はかなりの数が密集し、無傷のままの敵を相手取らなくてはならない。
 あまりに数が多いところはメイジたちが減らしてくれるが、そう簡単な敵ではなかった。
 しかし、遅れを取るわけでもない。大剣を振り抜いた先で、また一体、ざぁ、と屍が灰状になって風に散る。
 額に貼りつく前髪を、うっとおしげに頭を鋭く振って払う。
 その時、何故か足元に僅かな振動を感じて眉を寄せる。だが次の瞬間、正面から向かってきたゾンビに気を取られ、大剣を一閃した。
 この時、もっと深く気をつけていなかったことを、九十朗はのちに酷く後悔することになる。


 城塞の地下に広がる練兵場に、今は人の姿はなかった。
 大きな窓が取られているとはいえ、その広さから内部は薄暗い。無人では、松明を灯す意味がないからだ。
 地上の騒ぎなど微塵も感じられないその空間が、僅かに揺れ動いた。
 奥まった壁の一角。その向こう側から、鈍い音が響いてくるのだ。
 徐々に大きくなるそれが、とうとう壁を構成する一枚の岩を破壊した。
 破壊は更に続き、支えを失った上部の壁が崩壊していく。
 しかし、アーチ型の天井まで崩れることはなく、ある程度の大きさまで広がったところで崩落が止まる。
 再び訪れた平穏は、低い呻き声で破られた。
 言葉にならない音を喉から漏らしながら、壁の向こうに現れた穴より、ぞろぞろと呪われた死体達が姿を現す。
 現在、地上から攻撃してきたゾンビ達の別働隊が、地下より坑道を掘り進んで侵入を果たしたのだった。

 長時間、身動き一つしなかった男が、ゆるりと顔を上げる。
 何ヶ月も閉じこめられていた鉄の扉の向こう側に、奇妙な気配が蠢いていた。
 乱暴に金属の何かが破壊されている音が、鈍く響いている。
 それは、おそらく他の牢獄の扉だ。
 破壊は、とうとう彼の独房にも及んだ。
 歓声ひとつあげることもなく、破壊者はのそり、のそりと連なって入りこんでくる。
 その、既に生命と意思を完全に失った瞳が、虚ろに囚人を捉える。
 そこへ浮かぶものは、満たされることなき餓えだ。
「……ああ」
 溜め息に乗せるように、彼は小さく呟いた。
 枷を嵌められた手足は、逃走には向いていない。
 だが、うっすらと笑みを浮かべた表情からは、諦めや絶望は微塵も見られなかった。
「ようやく救いの手を遣わして下さったのですね。救世主」
 軽く目を閉じ、頭上を見上げた。露わにされたその柔らかな喉に、死者たちの牙が迫る。
 彼はそれから、一切の声を漏らさなかった。


 無言で、外部の映像を見上げる。
 城門前のものだけでなく、遊撃隊の様子もそこには映し出されていた。
 見たところ予測通りに進んでいる。ゾンビたちは、城門へ向かうか、遊撃隊へ向かうか戸惑っているところを戦士たちに斬り倒されていた。
「……ん?」
 内心の心配をかけらも外に出さず、それを見守っていた[六枚羽根]は、視界の隅に瞬くものを見つけて小さく呟いた。
「どうしました?」
「いや。……城門の、手前やけど。なんか、ちかちかしてへんか?」
 その言葉に、手早くトゥキが映像を拡大する。
 それは、両掌に包める程度の大きさの何かだった。速度はさほどないし、方向も定まらないようにふらふらしている。城の一階の窓から、更に数個迷い出てきている。
 赤く点滅するそれを目にして、四郎は顔色を失って立ち上がった。
「まずい! あれを止めぇ!」
 一瞬でトゥキの周囲に小さな窓が並んだ。それに向けて口早に命令を告げた城主が、戸惑った顔になる。
「どうした?」
「一階にいる部隊が応答しません」
 報告する間にも、他の小窓を用意している。他の部隊を向かわせているのだ。
 丁度巡回をしていた部隊が近くにいたため、数名の兵士が駆けつけた。全ての物体に対応しているのを確認して、少し身体の力を抜く。
「何だと?」
 珍しく、トゥキが大声を上げた。
「四郎様! 一階に、ゾンビが入りこんでいると報告が」
「何やて?」
 その言葉に驚愕して、視線が映像から外れる。
 赤く燃え上がる物体が一気に加速し、兵士たちの間をすり抜け、そしてまっすぐに城門へと突っこんでいったのは、まさにその瞬間だった。


 爆音と熱気が冷え切った空気を震わせる。
 呆然として、九十朗は城門のあった方向を見つめた。
 轟然と聳え立っていた鉄製の城門は、今は無残に崩れ落ちている。
 百メートルは離れているのに、すぐ傍に金属片が落下した。鈍い音を立てて、周囲の雪を融かしている。
「撤退!」
 分隊長の指示は迅速だった。
 ここから城門へ駆けつけ、侵入を防ごうとしてもこの人数では焼け石に水だ。それよりも通用門から城内へ戻り対処した方が早い。
 戦士たちが一斉に身を翻す。敵の足が遅いのが幸いだ。
 と、それとは逆方向へ走っている人影に気づく。
「次郎!?」
 慌てて、そちらへ駆け寄った。
「何やってるんだ?」
「何って……。昨夜打ち合わせただろう。撤退時に俺は一番最後だ。追ってくる奴らを食い止めながら戻るんだよ」
 さっさと行け、と片手をひらりと振る。
 しかし打ち合わせの時点では、ここまで緊迫した状況は想定していなかった。不安がどうしても拭えない。
「だけど次郎……」
「勝手な行動はしないって約束しただろう。早く戻れ。戻ったら、分隊長に許可を取って四郎様の無事を確保しろ」
 自分が駆けつけられない分、一秒でも早く。
 次郎五郎の内心の焦りを察して、ようやく九十朗は走りだした。それを確認もせず、追い縋るゾンビに斬りつける。
 また一人、戦士がすれ違っていく。
 顔をしかめて、次郎五郎は城塞を見上げた。その半分ばかりを、今は黒煙が覆い隠している。


 細い通路を、走り抜ける。
 時折足を滑らせながらも、一心に。
 もうすぐ城内へ入れるという辺りで、先に進んでいた戦士たちが立ち止まっているところへ行き当たった。
「どうした?」
 二人が並んで立つのがやっとという幅だ。先がどうなっているのかはさっぱり伺えない。苛々と前にいる戦士に問いかける。
「通用門の城内側から、ゾンビがやってきているようで」
 まさか、この短時間でもう城門からここまで侵入されたのか。
 俄然、四郎たちの安否に不安が募る。
 実際のところ、ここへ集まってきたゾンビたちは地下から侵入したものが地上まで登ってきたものだったのだが、彼らはまだそれを知らない。
「どけ! 俺が片づける!」
 焦れて、九十朗が叫んだ。詰まっていた戦士たちが慌てて道を空ける。
 通用門は、やはり広くはない。しかも周囲には見張り小屋や木製の柵が設けてあり、障害物が多すぎる。
 その合間をみっしりと埋めるように、アンデッドたちはゆらゆらと蠢いていた。
 ……次郎なら、この程度の数、数分で殲滅できる。
 僅かに頭を振って、大剣を抜き放った。兄は今、ここにはいない。
「だぁあああああああっ!」
 力任せに、手近な一体に剣を叩きつける。その勢いは、横にいた二体ほどを道連れに吹っ飛ばした。
 僅かに空いた空間に、一歩踏みこむ。その間も、剣は次の相手を狙っていた。
 細い首を分厚い大剣で抉られたゾンビは、空中に身体の一部を跳ね上げられた状態で灰になって風に散っていく。その勢いで、柵が三メートルほどに渡って半壊した。
 着実に、九十朗は戦える空間を増やしていた。その半分は、城塞の設備跡ではあったが。
 ほぼ手綱が外れかけた状態の青年を、背後から呆然と兵士たちは見つめていた。

 集まっていたゾンビたちが半減し、周囲を見渡せるようになる。
 城塞の一階部分の扉や窓が酷く破壊され、そこここにゾンビが徘徊していた。
 また一体を塵に返して、九十朗は肩越しに叫んだ。
「すいません! 俺、ちょっと四郎様のとこに戻ってもいいですか?」
 上半身を捻ったせいで大剣が見張り小屋の壁に激突し、不吉な音と共に目に見えて傾いだ。
「あ、ああ。勿論だ、早く行くといい」
 指揮官がこくこくと頷く。
「ありがとうございますっ!」
 大きく礼を言って、九十朗は強引に前進した。こともなげに振り抜く大剣は、アンデッドの身体のどこかしらを雪の上に撒き散らしていく。
「………………すげぇ」
 厳密にどういう意味かはともかく、戦士たちはただそう呟いた。

 手近な扉から城塞の中に入る。城内でも戦闘が繰り広げられているらしく、遠く喧噪が聞こえた。
 うろついていたゾンビをまた斬り捨てる。
 流石に疲れが出てきた。大剣を構えながら歩いているが、腕が重い。
 もう、アンデッドの腐臭に慣れてしまっていたのだろうか。注意は怠っていないつもりだったが、細い通路の前を横切りかけた時に、三体のゾンビにのしかかられた。
「この……!」
 振り払おうとするが、バランスを崩し、盛大に倒れてしまう。こういう場合、全身鎧を着ているとすぐには立ち上がれない。
 ゾンビの、むき出しになった変色した歯に、思わず怯む。
 ずるり、と腐敗した肉体が鎧に一部こびりついた。
 徐々に迫り来る屍に、九十朗は初めて恐怖した。


 負傷していたり、毒に当てられた兵士に応急手当をしていたせいで、退却は思っていたよりも時間がかかってしまった。
 周囲を見回しながら、次郎五郎が通用門へ通じる通路へ向かう。
 入口には、ゾンビたちからその場を護りつつメイジたちが待っていてくれた。
「もう全員戻ったか?」
「人数は全員確認しました。お手数をおかけして申し訳ありません」
 生真面目に頭を下げられる。本来なら、自分たちの中からプリーストを連れてくるべきだったと考えているのだろう。
「やめてくれ。俺だって、今は隊の一員扱いの筈だ。それより早く戻ろう」
 一つ目の門をくぐり、厳重に鍵をかける。それで少し安心して、小走りに進んだ。
 ようやく通用門に辿り着いたところで、唖然として立ち竦む。
 通用門周辺の設備が半壊している。その周辺で戦士たちが敷地内へ入りこんだゾンビたちを相手どっていた。
 指揮官を見つけて、駆け寄った。闘っているゾンビを、背後から袈裟懸けにする。
「失礼しました。急いでいましたので」
「あ、ああ」
 焦ったような指揮官の態度を訝しく思ったものの、会話を続ける。
「かなり入りこんでいるようですね」
「いや、随分減ったんだ。九十朗殿が奮戦してくれた」
 その言葉に、慌てて周囲を一瞥する。
「あー……。その、何というか、すみません」
 深々と頭を下げるのに、いやいやと宥められる。
「貴方も戻りたいでしょう。早く行かれるといい」
 察しよく促して貰えるが、それはあの九十朗の兄を傍に置いておきたくないからのようにも思えてしまう。
「ありがとうございます」
 それでも礼儀正しく一礼して、次郎五郎は城塞へと向かった。


「目を閉じて!」
 声が響いて、反射的にきつく目を閉じる。
 瞼の裏が緑色に強く光った。体中を、小さく弾けるような感覚が襲う。
 のしかかられていた重みが、ふいに消える。
 急激に感じられた疲労に、浅く呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか?」
 頭上から声が降ってきて、ようやく目を開けた。
 半ば心配そうな、半ば呆れたような城主が見下ろしてきていた。

「……ヒールって、あんな強烈なもんだったんだな……」
 何とか立ち上がって、九十朗が呟く。ざら、と身体の上から灰が零れ落ちた。
「あれはもう全力に近いですからね。本来、人相手ではあそこまでする必要はないですが」
 戦闘が原因で感じていた腕の疲れは消えている。だが、全身に妙な倦怠感が残ってしまった。すぐに消えます、とトゥキはあっさりと告げたが。
「で、何であんたがここにいるんだ? 四郎様は無事なのか?」
 尋ねた言葉に、あからさまに城主は嫌な顔をした。
「あの方が現場へ直々に出てきたがるのを何とかして貰えませんか。城内へ侵入されて、状況が見えなくなったら即断ですよ。もっと、最高指揮官としての自覚を持って貰わないと」
 止めるのにどれだけ苦労したか、と溜め息をつく。
「……四郎様が出るのが駄目だったら、あんたも駄目なんじゃないか?」
 単純に、城塞自体の最高責任者がトゥキだったために訊いたのだが、じろりと睨め上げられた。
「人手が足りないんですよ。城門からの侵入はまだ抑えていますが、それを維持するためには人を減らすなんてできない。何とかかき集めて一少隊の人数は確保しましたが、指揮官は無理でした。……戦士の半分は外に行っていたし、残りの半分は昨日の作業のために疲れが残っている。全く、タイミングとしては最悪です」
「城門から侵入してないのか? じゃあ、先刻の奴らはどこから」
「それを調べに出てるんです」
 答えて、無造作に片手を振る。九十朗の背後、十メートルほど離れたところに現れたゾンビが、ヒールの直撃に悲鳴を上げた。
 ぱきん、と不吉な音が響く。
「……あ」
 トゥキの構えていた杖が、先端から十センチほどのところで割れていた。
 それを見計らった訳ではないだろうが、ぞろり、と更に数体ゾンビが通路から現れる。
 慌てて、九十朗が庇うように大剣を構えた。
 だが。
「甘く見ないで頂きたい」
 杖を投げ捨て、毅然としてそう告げると、トゥキはローブの裾を跳ね上げた。右手が、素早くその下から何かを取り出す。
 鋭く振り抜いたそれは、小気味いい音を立てて、片手に収まる長さから一瞬で六十センチほどまで伸びた。
「……仕込み杖かよ」
 呆れた呟きを、九十朗が残す。
「一本手持ちを失ったぐらいで、戦線離脱はできませんからね」
 初めて見る、城主の好戦的な笑みに、青年は肩を竦めた。
「ここはいいですから、早く四郎様のところへ戻って下さい。戦力が傍にあれば、あの方も少しは自重されるかもしれません」
 あからさまに追い払われるのに、苦笑して九十朗は階段へ向けて走り出した。


 ……おかしい。
 次郎五郎が、暗い通路に立ってぐるりと周囲を見回した。
 城内へ入り、一番近い階段へと向けて進んでいたつもりだった。が、いくら進んでも上へ向かう階段は見つからない。
 迷うほど城塞に慣れていないとは思わなかったのだが。戻っても仕方がないのだし、と焦りを抑えて前進する。
 やがて、前方にちらちらと光が見えてきた。誰かがいるかもしれない。そう考えて、足を早めた。
「……ええ。そろそろ、始めるところです」
 ふわふわと、身体の周囲に乳白色の光を纏わりつかせている、少女。
 それを視認して、即座に次郎五郎は刀に手をかけた。
「あら。見つかっちゃった?」
 こちらを見つめて、薄く笑みを浮かべている。
 風来坊錬金術師だ。
 二年前のことについて、彼女に個人的な恨みはさほど持っていない。しかし、今現在彼女は自分たちの敵だ。見逃すつもりは、毛頭なかった。
「マガティアの時に会った子ね。いい面構えになったじゃないの」
「……おかげさまで」
 恨みは、ない。静かに深く呼吸して、心の波を鎮める。この辺りは徹底的に師に叩きこまれていた。
「そうね、ちょうどいいわ。もうすぐお終いなんだって、[旧システム]に伝えてきてちょうだい。……無事に会えれば、だけど」
 少女が片手を上げる。鯉口を切りかけた瞬間、乳白色の光が視界と意識を埋め尽くした。



 規則正しく響く靴音に、十五分は耐えただろうか。
「大人しく座っているということができないんですか、貴方は」
 呆れた口調で諫める。
「大人しゅうこの部屋に閉じこめられとるだけでも充分譲歩しとるんやけどな」
 煙草のフィルターを今にも噛み千切りそうな形の笑みを浮かべて、そう告げられた。
 彼らが、四郎を戦闘に臨ませないのには、訳がある。
 四郎の存在は、特異な場所でなければ、土地に負担をかけてしまう。
 数ヶ月前、アクアリウムで[五人目]の創造物と闘えたのは、その場所が特異であったためだ。
 だが、条件が揃っているからと言って、無事に済むとは限らない。土地の強度が低かったり、逆に四郎の影響が強ければ、それは容易くその地を破壊する。
 例えば、スリーピーウッドのように。
 この山肌にしがみつくような形で建つ城塞が半壊でもしたら、どれだけの被害が出るか、考えたくはなかった。
 トゥキが現場に出てから、半時間ほど経っている。状況を映像化するスキルは彼らには使えないため、戦況が全く判らない。
 三郎太が溜め息をつきつつ立ち上がった。
「仕方がないですね。せめて城門の様子だけでも見てきましょう。十分ほどで戻りますから、無茶はしないでくださいよ」
「お前こそ気をつけぇや」
 やや心配そうにかけられた声に、ひらりと片手を振る。
 先日九十朗が飛び降りていった胸壁からは、城門がよく見える。戦闘に参加している兵士もいるはずだ。状況を調べるのに、時間はかかるまい。
 三郎太は足早に廊下を歩いていった。

『ごとん。』

 不穏な音が、[六枚羽根]一人きりになった部屋の中に響いたことも知らず。


 どすん、と重厚なテーブルの天板に腰を下ろした。引き寄せた灰皿は、既に吸殻でいっぱいだ。その隙間に捻りこむように、咥えていた煙草を押しつけた。
 苛立っている時には、彼はむしろチェーンスモーカーになる。よくない癖だ。
 しかしまあとりあえず、お目付役も息子たちもいない間は心置きなく行儀の悪いことをするつもりで、四郎はもう一本煙草に火をつけた。組んだ脚の上に頬杖をつき、紫煙を吹き上げる。

『ごとん。』

 背後で、低く音が響いた。
 肩越しに振り向いてみるが、誰もいない。
 部屋の奥には玉座が置かれている。そして、その後ろには。
 男は一瞬で足を天板にかけた。大股に、十メートル近くはあるテーブルの上を走り抜ける。
 端まできたところで勢いよく飛び降りて、玉座の手前の数段高くなっている石の床を駆け上がった。
 玉座の後ろには、扉がある。
 現在、その扉は薄く開き、内部から乳白色のもやが流れ出ていた。
 あの音は。
「……っそ!」
 血の気が引いていることを自覚しつつ、低く罵る。
 あの音は、世界が〈ずれ〉る音だ。

 扉に浮き彫りにされている、翼の生えた隕石の文様に掌を当てる。
 普段であればこれで即座に扉をコントロールできるのだが、扉はむしろ更に開いていった。ぶわ、と頭上からも溢れたもやが降りかかる。
 ほのかに光る乳白色の中に、何かの影がよぎって、眼を眇める。
 それは、突如もやを突ききって、目の前に現れた。
 ごつごつとした、男の手。
 鋭く息を吸って、反射的に上体を反らすが、手はがっちりと四郎の前頭部を掴んだ。
 ……ぬるい。
 ぬるい。ぬるい!
 前に、『この男』と直接やりあってから、六百年。六百年だ!
 その間、どれほど自分はぬるま湯に浸かっていた!?
 がり、と翼を持った隕石に爪を立てる。
「なんの……つもりや!」
 吐き捨てるような叫びに応えたのは、想像した通りに穏やかな声だった。
「お前の羽根をもぎ取るのだよ、四郎。それは、お前の持つべきものではない」
 内容は、予想した通りに無慈悲なものだったが。


「三郎太さん?」
 胸壁から城内に戻り、扉を閉めていると横合いから声をかけられた。
 片手に大剣を持ったまま、九十朗が廊下を駆けてくる。
「どうしてここに? 四郎様は……」
「先に質問なんて大きく出たわね、[一枚羽根]が」
 軽く窘められて、青年は慌てて姿勢を正す。
「ええと、只今帰還しました! 遊撃隊は現在、前庭にて侵入したゾンビと戦闘中です。次郎は退却が完了する最後まで外に残るつもりだと言っていました。帰ってくるにはしばらくかかると思います」
「六十点ね。落ち着いたら、もう少し話し方を教えましょう」
 苦笑して、三郎太が踵を返した。
「四郎様は謁見の間にいらっしゃるわ。少なくとも五分前までは無事よ。私はちょっと戦況を見に出てきたの」
「どうですか? 戦況の方ですけど」
「今のところ、さほど押されてはいないわね。でも、侵入を許したままで消耗戦が続くとそう長くは持たないわ。早急に城内から排除して、門の封鎖をしてしまわないと」
 話しているうちに、謁見の間へ辿り着く。三郎太は軽く扉をノックした。



 視界がぐるぐると回っている。
 それすらも形のないやわらかなものばかりで、意識の掴み所を求めて彼は低く呻いた。
 身動きした指先が清冽な何かに触れて、ふいに身体の感覚が戻ってくる。
 大きく呼吸して、手元に視線を落とした。
 手は刀の鞘に触れていたらしい。しっかりと柄を握り直して、青年は周囲を見回した。
 見渡す限り、一面が乳白色のもやに覆われている。
 しかし、ここはいつか来たことがある場所だ。そう遠くない時期だった気がするが、まだ頭が働いていないのか、記憶があやふやなままだった。
 何やら、遠くで叫び声が聞こえて、思わずそちらへ足を向けた。
 時間も、距離も、全くが無意味な中で視界に入ってきたのは。
 額を掴まれ、床に膝を折る黒衣の男だった。

 迷わず走りこみ、一気に抜き放った刀で男を掴む腕を跳ね上げる。
 黒衣の男の前に立つ人影は、まるでもやが凝ったような質感で、腕を両断されても全く動揺した様子もない。
「四郎様に、触れるな」
 長い前髪の影に覗く隻眼から射抜くような視線を向けられて、その人影は薄く笑ったようだった。
 どさり、と物音がして、慌てて剣士が振り返る。
 糸が切れるように床に倒れ臥した養父に、顔色を変える。
「四郎様!」
 人影と、切り落とされた腕とが、すぅっと周囲のもやと同化した。

 眼は開いている。だが、焦点は全く合っていない。
 力なく投げ出された肢体に、背筋がぞくりと冷えた。
「四郎様、しっかりして下さい! 四郎様!」
 何度呼びかけても、身体を揺すっても反応がない。
 焦りが、徐々に恐慌に変わっていく。
 救けを求めて周囲を見回す。身体を捻った時に、がしゃん、と腰のところで小さな音がした。
 床に落ちた刀を、震える手で拾い上げる。
 つい先刻、自分の正気を取り戻してくれたこの刀なら、あるいは。
 祈るような気持ちで刃を水平に向け、そっと養父の胸に置いた。
 びくり、と男の身体が小さく撥ねる。
 ゆっくりと瞬いて、その瞳がまっすぐ銀髪の青年を捉えた。
 泣き出しそうになっている顔を、訝しげに見上げる。
「…………だれ、や?」

「四郎さま……?」
 小さく呟いた声に、四郎は長く呼吸した。
「あー……。ああ、すまん。大丈夫や、次郎五郎」
 安堵に、肩の力が抜ける。俯いて、次郎五郎は長く呻いた。
「びっくりさせないで下さいよ……」
「すまん。ちょっとぼぅっとしてもた」
 苦笑いして、手を伸ばしてくる。温かな指先が頬に触れて、ようやく小さな不安も消えていった。
「あー。しかし、くらくらするわ……。あの阿呆が」
 口の中で呟いて、引き戻した手を額に当てた。
「誰だったんですか? あれは」
 何の気なしに尋ねたのだが、四郎はその言葉を耳にして一瞬で跳ね起きた。
「会うたんか?」
「あ、危な……!」
 その弾みで胸を滑り落ちていく日本刀に手を伸ばす。
「ぅおあっ!?」
 幸い、背が下を向いていたので、腰のところで止まってくれた。
「……死ぬかと思ぅた……」
 四郎が胸を押さえて弱い声を漏らす。
「すみません、他に思いつかなくて」
 そっと刀を拾い上げる。そのまま柄を四郎に差し出した。
「お前のやろ。持っとけ」
 以前もそうだったように、断られる。だが。
「誰かは知りませんが、あれの目当ては四郎様ですよね。なら、これは持っていて下さい。使わなくても気付けの役には立つみたいですから」
「せやけど、お前の武器がのぅなるやろ」
 気遣われるのに、薄く笑みを浮かべた。鋭く右手を振ると、袖の中から小さなナイフが滑り出る。
「これ一本でも、俺は充分身を護れますよ」
 見覚えのあるナイフに、四郎が苦笑する。
「よし。じゃあ、しばらく借りるわ」
 明るくそう告げると、きびきびと立ち上がった。ぐるりと周囲を見回す。
「しっかし、完全に入りこんでしもてるなぁ……。入口から動いた覚えがないんやけど。次郎、お前はどうやってここに来たんや?」
「ええと、確か、一階で錬金術師に会って」
「は?」
 ぽかん、と口を開けて見つめられる。
「あの……?」
「あいつとか創造物とかに会っておいて無事って、どれだけ強運やねん……。分けて欲しいわ、ほんま」
 ぶつぶつと呟く。戸惑った次郎五郎の頭に、ぽん、と片手を置いた。
「まあええ。とにかく何とかして戻らへんとな」
 周囲はゆっくりと流れるもやに包まれていて、上下方向すら覚束なくなりそうだ。その中で漆黒の髪と瞳、黒服の男の存在だけが確かだった。
 彼らが用心深く進み始めたときに、微かな音が響いた。
 軽く、何かを叩くような。
 それに、小さく軋みを上げる音が続く。
 瞬間、周囲のもやがどこかへ吸いこまれるように消えた。みるみるうちに、暗く冷たい石造りの部屋が現れる。
 ただ床の上だけが例外で、部屋いっぱいに膝近くまで乳白色のもやがたゆたっている。
「遅くなりました、四郎様……」
「うわ!?」
 廊下へと続く扉の前に、三郎太と九十朗が立っていた。室内の状態に絶句しているようだ。
「何ですかこれ、スモーク?」
 九十朗の言葉に、顔を見合わせる。どちらからともなく、親子は笑みを零した。
「何があったんですか?」
 警戒心を露に、三郎太が室内へ入ってくる。
「ああ、ちょいごたごたして……」
『四郎様!?』
 答えかけた言葉は、突然遮られた。
「トゥキか?」
『ご無事ですか? 先ほどから、全く連絡が取れなくなっていたんです』
「ああ、今は大丈夫や。そっちの様子は?」
『一階の掃討はほぼ完了しました。侵入されたのは、おそらく東翼からだと思われます』
「東翼?」
 そちらは、完全に谷に面している。あれだけの数の侵入者が容易く入りこめる隙はない。
「まあええ。次郎の話やと、一階に風来坊錬金術師がおったらしい。気をつけぇ」
『了解しました』
 話の途中で、あからさまに九十朗がそわそわし始める。
「あの、四郎様、俺ちょっと下に行ってきていいですか?」
「あかん」
 しかし四郎は一言で却下した。
「ここは次郎がいるから大丈夫ですよ。何か、人手も足りないみたいだし」
「お前はヤツとやりあいたいだけやろ」
 更にあっさりと図星をさされて、一瞬口ごもる。
「……そうですよ。どうして、駄目なんですか」
「ワシがここから動けへんのに、お前だけ行かすんは不公平やんか」
「子供ですか」
 三郎太が呆れて口を挟んだ。ちょっと傷つけられたような表情で四郎が視線を向ける。
「じゃあ一緒に行きましょう! だったら公平ですよね!」
 微妙にずれた方向に九十朗が提案する。苦笑して、四郎は肩越しに背後を示した。
「無理やて。ワシは、あれを何とかして閉めんといかんしな」
 玉座の後ろにある扉は既に全開で、部屋の中へ溢れ出る乳白色のもやが徐々に深度を増していた。

「何があったんですか?」
 眉を寄せて、三郎太が尋ねる。
「ん。ちょい、[五人目]に干渉された」
 軽く答えて、ふらりと踵を返す。通り過ぎ様に次郎五郎に刀を差し出した。
「何ですって?」
「多分、もうなくても平気やろ。ワシは両手が必要になるし」
 三郎太の声を無視して、次郎五郎に説明する。幾つかの理由で、青年は困ったような顔をしていた。
 三郎太は更に声を荒げることなどしなかった。代わりに、無言で上司を見つめている。
 四郎が、掌を扉に押しつけた。
「……何をされたかなんて、ワシに判る訳がない。これを作ったんは、あいつや。ワシはその使い方を一部知っとるだけに過ぎん。せやけど、この状態で放置してたら、どんな事態でも起こり得るっちゅうことは、判る」
「なるほど。それでは全力で対処してください。次郎、九十朗、疲れたでしょう。ちょっとこっちで休憩するといいわ」
「……ええと……」
 兄に負けず劣らず困った顔で、九十朗は家族を眺め渡していた。



 男は、持ち上げた自らの掌を凝視していた。数度、指を開閉してみる。
「申し訳ございません、お父様」
 背後から怯えたような声がかけられた。
「なに。特に問題はない。一息にもぎ取るのがせめてもの慈悲だと思ってはいたが、こうなると時間がかかりそうではあるな」
 乾いた口調は、真意が全く推し量れない。
「一枚ずつ引き剥がすのも、悪くはない」
 男の視界の外で、少女は深く頭を下げた。



「どうしてこんなに遅いのかしら。本当はもっと早く歩けるんじゃないの?」
 腕組みをして、苛々と少女はそう言い放った。壁に穿たれた穴からは、ぞろぞろとアンデッドが現れている。
 それでも、幅が狭い坑道の中はまだましだ。前方へ進むしかないのだから。この練兵場に出てきたアンデッドたちは、ふらふらと思い思いの方向へ動き出している。
「ああ、もう!」
 数が増して、場所が狭くなってこなければ練兵場からも出ていかないのだろう。だが、この部屋はかなり広い。それまでにどれだけ時間がかかるか想像して、少女は小さな頬を膨らませた。
 第一陣の時には、誘導できる餌が地下牢にあったのに。
「誰かいるのか?」
 練兵場に通じる廊下の方から、声がした。ざわり、とゾンビたちの間の空気が変わる。
 アンデッドの、生者に対する飢えは凄まじい。いままで無秩序に動いていた彼らは、一斉に出口に殺到した。扉の向こう側から、驚愕の叫び声があがる。
「……あらあら」
 少女は、にんまりと笑みを浮かべて呟いた。

 練兵場へと続く通路は、割と広い。多くの人数や、機材などを通すことが必要だからだ。
 その通路いっぱいに突進してくるゾンビは、凄まじい脅威だった。
「食い止めろ!」
 流石に、トゥキも焦りが隠せない。
 破壊された城門は、メイジが氷の障壁を造ることで封鎖する予定になっていた。だが、まだ城門の残骸は熱を持っている。下手に凍らせると、更に崩落しかねない。それまでは、引き続き弓士と魔法使いで正門からの侵入を阻むつもりだったのだが。
 しかし、内側からの侵攻を許してしまえば、それは即座に彼らの敗北となる。
 正門を護る兵士を極力最低限に抑え、残りを城内へと移動させる。手の空いている者、全てを戦闘に参加させた。
 短時間で何とかしなくてはならなかった。人間は、何時間も戦い続けられる訳ではない。ただでさえ、今朝から交代なしで前線に立っている者もいるのだ。
 彼らはまだ知らない。
 敵が、際限なく送りこまれてくることなど。
 だから、まだ彼らは心を折られてはいなかった。

 扉にぴたりとつけられた掌との隙間から、時折黒いもやが溢れだす。
 だがそれは、すぐに漂い出てくる乳白色のもやに打ち消された。
 四郎が低く悪態をつき続けている。
 次郎五郎と九十朗は、すぐ傍で武器に手をかけていた。もやの中に、時折何かの影がよぎる。数秒で消えてしまうものではあったが、養父に危害を加えられる訳にはいかない。
 三郎太は、専らトゥキと話していた。四郎も聞いてはいるが、対処は全て彼女に一任している。
 トゥキの報告は、明るいものではない。通路に一部障害物を作り、敵が通れる道を制限して狙い撃ちにしている。それでもしばらくすればそこを突破されてしまい、じわじわと後退している状況だ。
「一階が占拠される前に、撤退を始めることも考慮してください。袋の鼠になってしまっては敗北は免れない。通用門が使えるうちに、ある程度の部隊を外へ出すのも手です。そのまま外部から攻撃する方向に切り替えることも有効でしょう。
 現在、こちらの扉が機能することは期待できません。ミスティックドアでのエルナスへの避難も、必要な時間を考えて検討をお願いします」
 三郎太は、できる限りの人間が無事であることを第一に主張している。だが、トゥキとその配下たちは、城塞に固執しがちだ。ここは、彼らの城なのだから。

『そろそろ諦めたらどうなのかしら、[旧システム]?』

 幼さの残る声が、城塞に響く。
 四日前、宣戦布告をされた時には、トゥキが映像を繋いでいた。今、そのスキルは発動されていないのに、その言葉はその地にいる全員に届いた。
 四郎の唇が、笑みの形に歪む。
「やかましいわ、ボケ。自分みたいな若造が、ワシに手ぇ貸してくれる奴らを見くびるなんぞ、五百年は早いんじゃ!」
 それに応え、城壁を揺るがすような雄叫びが、謁見の間にも漏れ聞こえてくる。
 風来坊錬金術師は、二人のやりとりを兵士たちに聞かせたいらしい。
 少なくとも、志気はまだ落ちていない。
 だが。
『そう。でも、明日になったらどうなるかしら? 明後日なら? 私たちは、今後幾らでもここへ貴方を殺す者を送りこむことができるのよ』
 九十朗が、ぎり、と歯軋りした。
 無言で踵を返し、出口へと走り出す。
「待ちなさい、九十朗!」
 慌てて、三郎太がそれを阻む。
「行かせてください……! あいつらは、地下から入ってきたらしい、って言ってたでしょう」
 推測ではあったが、彼らはその結論に達していた。
「朝、外で闘ってた時、何となく地面から震動を感じたんです。あの時、俺がなんとかしていたら、こんなことには!」
「できなかったことを悔やむのは止めなさい。論理的に考えて、お前に責任はありませんよ」
 淡々と告げるが、苦しげな顔で九十朗は首を振った。
『でも、そんなに待つのも退屈よねぇ』
 錬金術師が、意味ありげに、そう言葉を続ける。
 その瞬間、次郎五郎が刀を抜いて扉の正面に立ちはだかる。
 不吉な気配が、ほんの数メートル前に密集していた。
 扉から流出する乳白色のもやの量が、明らかに増えている。
 四郎が小さく呻き声を上げた。
 ぎしぎしという軋みは、既に扉の中だけでなく、城塞全体を揺るがし始めていた。
「四郎様!」
 廊下に通じる扉が開いて、城主が姿を見せた。普段の規律正しい姿ではなく、血と汗に汚れている。
「どうかしたか?」
 振り向く余裕もなく、尋ねる。
「こちらの様子を見に来ました。すぐに向こうへ戻りますが。……その扉は、今、具体的にどうなっているのですか?」
「コントロールが外れとる」
 一言で返すのに、更に訊き返す。
「どこか、他の扉に繋がってはいるのですか?」
「繋がりはしとる。けど、分単位でそれが切り替わってる。大量の人間を送り出すんは無理や」
「いえ、数人でいいんです。……四郎様」
 静かに、トゥキが続けた。
「ここから離脱してください」

「お前は何をぬかしとんねん! ワシに、お前らを、[羽根]を見捨てろっちゅうんか!」
 流石に四郎が怒声を上げた。が、トゥキは退かない。
「場所を移したからといって、貴方が我々を見捨てるなどと思いませんよ。しかし、貴方がいなくなれば、錬金術師たちの興味はそちらに向くでしょう。ここの苦難は続くにせよ、今以上のものにはなりません」
「はん。詭弁は親父殿よりも上手いやないか」
 皮肉が、苦痛の響きを帯びる。
 扉を抑えているので、精一杯なのだ。
 ばちん、と音を立てて、次郎五郎の刀が虚空に弾かれた。右肩に衝撃が当たり、頬が浅く切れる。
「次郎!」
 九十朗の声に応える余裕はない。先ほどは勢いに圧されてよろめいたが、青年は更に一歩、前へ踏みこんだ。
 扉の周囲は、もう乳白色のもやに遮られて壁も見えなくなっている。
『一体いつまで保つのかしら?』
「……あの野郎……!」
 嘲るような声に、九十朗が走り出した。咄嗟に、その腕を三郎太が掴む。
「冷静になりなさい!」
 激情を秘めた瞳で、三郎太が九十朗の顔を見つめた。
「お前にとって大切なのは、兄の仇を取るために勝ち目のない軍勢に突っこんでいくことなの? それとも、家族と一緒にいること?」
 突きつけられた問いに、黒髪の青年は泣き出しそうな表情になる。
「……そんなの! 一緒にいることに決まってる、だけど……!」
 ふ、と三郎太の表情が和らいだ。
「それを忘れずにいなさい。そうしたら、何があっても大丈夫だから」
 そして相手の言葉を待たず、彼女は全身鎧を着たままの九十朗を放り投げた。
「ええええええええええええ!?」
 驚愕の叫びが尾を引いて、九十朗が部屋の奥へと飛ばされる。その身体は、次郎五郎の横をすり抜けて扉の中へ転がりこんだ。
「九十朗!?」
 反射的に、次郎五郎が走り寄る。
「あかん、本気で制御がきかん! 三郎太、次郎と九十朗をそっちに……!」
 肩越しに振り返り、脂汗を滲ませながら四郎が叫ぶ。だが、それはこちらを見つめる部下の顔を目にして、途切れた。
「お行き下さい、我が[六枚羽根]」
「次郎五郎、九十朗。四郎様を宜しくね」
 鮮やかにそう告げると、彼らは謁見の間の大扉の向こうへと足を向けた。
「お前ら、何を勝手な……!」
 四郎が怒鳴りつけるが、二人の姿はもうもやの向こう側へ霞み始めている。
 肩で息をしながら、次郎五郎は目を見開いてその僅かな影を見つめていた。

 ごん、と低い音をたてて、閂を落とす。頑丈な鍵をかけた上で、トゥキが扉全体に向けて防御の呪文を施した。
「貴女だけでも一緒に行けばよかったのではないですか?」
 その言葉に、三郎太が僅かに肩を竦めた。
「私は元々、四郎様の拳なのだから。以前なら最後までお供するところだけど、今は任せられる者がいるからね」
「彼らがそれほど頼りになりますか?」
「二人もいれば、私の半分ぐらいは使えるでしょう」
 あっさりとこき下ろして、二人は足を進めた。おぞましい戦いの音が、少しずつ近づいてくる。
「……それに何より、私がここにいれば、奴らは四郎様がここを離れたとは考えない。時間は少しでも稼げるはず」
「ええ。せめて、四郎様さえ安全な場所にいてくだされば、それだけでも……」
 脇の細い通路から飛び出してきたゾンビを、顔色ひとつ変えずに三郎太が殴り飛ばした。
「さて、では我らの城塞を奪還するとしましょうか」



 視界が、完全に乳白色の霧に包まれる。同時に、周囲の空間が一瞬で鮮やかに変化した。
 最後に、目の前にもやを吸いこみながら閉まり始める扉が現れる。
「ああ、くそ!」
 四郎が悪態をつく。それを再びエルナスの城塞へ繋げるのは、もう不可能なのだろう。
 見回すと、その部屋は倉庫の中のようだった。棚や箱が、きちんと積んである。
 全く埃っぽくはない室内を、次郎五郎はやや眉を寄せて見回した。
 何故か、ここはよく知っているような気がする。……少なくとも、先ほどまでいた謁見の間ではない。
 ごぅん、と鈍い音を立てて、とうとう扉が閉まる。
 ぎり、と奥歯を噛みしめて、四郎は拳をその翼の生えた隕石の紋章へ叩きつけた。
 その時、扉が開く音が微かに響いた。
 彼らの、背後から。

 
2011/03/20 マキッシュ